ぱちん。ぱちん。ぱちん。
今日も、剪定ばさみが小気味いい音を立てます。
 僕の名は三郎。旅人にして庭師。
そして、囚人達が平和に暮らす、この"水色の庭園"における、ただ一人の自由人。

「ふうっ……」
 少し疲れたかな、と思い、首に巻いた手ぬぐいを外して汗を拭きました。
そこへ、ちゃり、ちゃり、ちゃりとわずかな金属音を交えた足跡が近づいてきました。
「よぅ、三郎」
 ぬっ、と片手に抜き身の刀を担ぎ、もう片手にヤカンをぶらさげた男がやってきました。
「ごきげんよう、オロカさん」
「今日も、精が出るな」
「いえいえ、マイペースでやっていますよ」
 僕は地面に腰を下ろすと、オロカさんが持ってきてくれたお湯で、僕はお茶を二人分いれました。
「ありがとう」
「いえいえ、こちらこそ」
 オロカさんは、ふうっとお茶に息を吹きかけて、一口飲みました。
 オロカさんの仕事は、庭園の住人達が喧嘩をした時に止めたり、外部から侵入者があった時に撃退したりする事らしいです。
けれど、ここではそんな事はめったに起こりません。
要は暇人。だから、毎日のようにこうしてやってくるのです。
まぁ、僕としても、没頭してしまって働きすぎないで済むので、助かるといえば助かりますが。

 ふと、僕はオロカさんから汗臭さを感じました。
「鍛錬でもされていたのですか?」
「あ? あぁ、ちょっと素振りをな」
オロカさんは、首に巻きついている"良心ロープ"をうっとうしそうに肩に回しながら答えました。
「おまえも、少しぐらい体を鍛えたらどうだ?」
「御心配なく。護身術ぐらいは心得ていますので」
「そうなのか? じゃあ……」
 一本手合わせでも、などと言い出しそうな雰囲気を感じたので、僕はくすりと微笑んで制止しました。
「危なそうなところには、近づきません」
「は?」
「危なくなったら、さっさと逃げます」
「なんだよ、それ」
「だから、それが最大の護身術ですよ」
「なんだ、つまらねぇ」
 ぶぅっと小さく声を漏らして、オロカさんが口を尖らせました。
本当は、僕にも多少の武術の心得はあるのであるのですが、ひけらかしても何にもなりませんからね。
「そんなんじゃおまえ、守りたいものも守れないじゃないか」
「守りたいものは持たない主義なんです」
 だから自由なのですよ、と示すように、僕は涼しい首を撫でて見せてやりました。
「持たない主義ったって、そういうのは自然に……こう、いつの間にかできているものだろう?」
「自然に、いつの間にか、ですか?」
 食い下がるオロカさんの言葉に、僕は首を傾げました。
「そうだ。いつの間にか誰かと仲良くなったりとかよ、誰かに惚れてたりよぅ……」
「……いつの間にか……ねぇ……」
 ふっと、僕は微笑みました。
「ありませんね。いつの間にか惚れられていた事なら、ありますが」
「あ、そうかよ!」
 不満げに、またオロカさんがぶぅぶぅと声を漏らしました。
「じゃあおまえ、恋もしたこと無いのかよ」
「恋……ですか……」
 ちら、と以前街で見かけた美少年や美少女の顔を思い出しました。
あの滑らかな肌に触れたい、さらさらした髪を指で梳きたい、と思った事こそありますが、それは恋とは言わないでしょう。
「人並みに女性を抱いた事はありますが、恋らしい恋と言えるものはした事が無いかもしれませんね」
「人並みにって……」
 どこか不服そうに、オロカさんが顔をしかめました。
「あれ、オロカさんは童貞なんですか?」
「どっ……」
 ぶっ、とオロカさんは、口に含んだお茶を吹き出しました。
みるみるうちに、その顔が赤く染まりました。
「どっ、どどど童貞なわけないだ、だろっ、この歳で!」
「もう少しわかりにくい嘘をついた方がよろしいですよ」
「……うぅっ」
 可愛らしいと思えるほどまで、オロカさんは肩をすぼめました。
どうして彼は、こうも無防備に感情を露わにできるのでしょうね。不思議です。
しかし、気を取り直した様子で、オロカさんは顔を上げました。
「おまえって、どうしてそう……そんなかなっ……もっと、興味はないのか、興味はっ!」
「興味、ですか?」
「れ、恋愛に対する興味、だよっ!」
「……」
 僕は、記憶の糸を辿りました。
小説などで、登場人物が恋にときめくシーンを読んで、自分の事のように甘酸っぱさを感じたり、胸をどきどきさせたりした事はあります。
でも、それは御伽噺のような別世界の話。僕の身に起きようはありません。
なんとなく、うすら寒い風が僕の胸の内を通り過ぎたような心地がしました。
「興味が無くはありません。
恋をした人というのが、急に臆病になったり、逆に虚勢を張るようになったり、意外な一面を見せるようになるというのは興味深いです。
見ていると、なかなか面白いですよ」
「いや、そういうんじゃなくて……自分が、だな……」
「御期待に添えなくて申し訳ありませんね。僕はつまらない、面白みの無い人間ですよ」
 ふふっ、と僕は苦笑を浮かべました。
そんな僕の顔を、オロカさんはじっと見つめました。

「僕の事はさておき……オロカさんの初恋はいつだったのですか?」
 話を流すために、僕は話題をそらしました。
オロカさんは、再び顔をかっと赤らめました。
「そ、そうだな……確か、12歳ぐらいだったかな……」
「ほぅ、結構遅かったんですね」
「そ、そうか? モスタリアで……俺、捨て子でさ。道場の師匠に拾われたんだ。
師匠には娘さんが居てさ。勝気で、剣も強くて……姉貴のように思ってた……その時までは」
「その時?」
「鍛錬の後、行水しようと風呂場に行ったら、娘さんが先に居たんだ……そのぅ……えぇと……」
 オロカさんがもじもじして言葉を詰まらせ、なかなか先を続けないので、僕が継いでやりました。
「……裸で?」
「そ、そう……キャアって可愛い声あげて胸隠してさ。
慌てて飛び出したけど……その時から『女』として意識するようになったかな」
「ははぁ……」
「それから、しばらくしてさ。
ある時、道場の裏手に行ったら、娘さんが一人で声を忍ばせるようにして泣いてるんだ。
『どうした?』って声をかけたら、俺の胸にしがみついてワァッと大声をあげて泣き出してさ。
なんだか、守ってやりたい、なんだか知らないが泣かした奴は許せねぇって気が湧いてきた」
「……」
「それでさ、話を聞いたら、男に二股かけられたって言うんだ。
もう、頭にきてさ。その男を殴りに行ったんだ!」
「……どうなったんですか?」
「ガツンとやってやったさ、ガツンと!
でもな、そいつには取り巻きがいて、その後ボコボコにされちまった。
ちっ、卑怯だ。一対一だったら、あんな……
でも、考えてみれば、いつの間にか俺が乱闘の被害者って事になってたからな。
先に仕掛けたのは俺なのに、結果的にブタ箱入りは避けられて、良かったのかも。
それにまぁいいさ、奴を殴ってやるって目的は果たせたんだし!」
「……」
 どうしてこの人は、後先考えずに思いのままに動く事ができるんでしょう。
僕だったら、一人で泣いている女性を見かけたら、気づかれないうちにそっと立ち去って終わりでしょうに。
オロカさんの目の前に並べられた出来事は、どれも日常的なありふれたものなのに、それによってキラキラした非日常の事件に発展していっているみたいです……
……いや、もちろんボコボコにされたいなんて思いませんけど……
 僕が考え込んでいると、オロカさんが声をかけてきました。
「どうしたんだ、三郎? ぼんやりして」
「いえ……馬鹿ですね、って思ってたんですよ」
 オロカさんは、カッとして、しかし半ばはにかむように怒鳴りました。
「うっ、うるせぇな! わかってるさ、自分でも馬鹿だって!」
 ……羨ましい。少しだけ。
僕も、もうちょっとだけ、面倒事に巻き込まれる心配ばかりしないで、思うがままに動いてみたい……ちょっとだけ。

「さて……そろそろ仕事に戻りましょうかね」
「そうか。悪かったな、邪魔をして」
「いえいえ」
 オロカさんは刀を担ぎ直し、ヤカンをぶらぶらさせながら、来た道を引き返して行きました。
「……一度くらい、恋なんてものをしてみても……いいかもしれませんねぇ……」
 オロカさんに聞こえないように、僕はそっと呟きました。
いや、まぁ……そんな機会と、適当な相手がいればの話ですけどね。


作者コメント


今となっては懐かしさすら覚える、パペット小説「水色の庭園」の番外編です。
当時はオロカ視点中心の三人称で書いていましたが、今回は三郎の一人称で書いてみました。
三郎がどんなことを考えていたかは直接描かれる事は少なかったですが、結構オロカを羨ましいと思っていたようです。
その気持ちが「人と繋がっていたい」という思いを持つことのなかった三郎に、生じさせるきっかけともなっていったのでしょう。
読んでいただき、ありがとうございました。

 

マインド パペット
Cheers!
ステイシスさん
 
第二回マインドパペット1.5