第1章「暗闇に踊るマリオネット」

1.

ドグマは、ぱちりと目を開いた。
何か夢を見た気がするが、よく思い出せなかった。
横たわったまま暗闇をぼんやりと見つめるうちに、ふと自分の胸の上にのしかかる重みに気づいた。
「オロカ……まったく……」
毛布の数が足りないので、いつもドグマはオロカと一緒にもぐって寝ているのだが、寝相が悪いというのか何というか。
三日に一度は、いつのまにか抱きしめられているのである。
子供扱いするなとドグマが叱り飛ばし、無意識だからとオロカが平謝りするのが、恒例のやりとりだった。
暗示郎は、もう諦めれば?と笑うのだが。

子供扱い──
「忌々しい……」
ドグマは、呟いた。
"時空の最果て"では"燃え尽き症候群"と呼ばれる、特殊な病。
それを患ったドグマの体は、運動するために十分な量のエネルギーを生み出すことができない。
少ないエネルギーでも動き回れるように、時空魔術で肉体年齢を若返らせ、彼は子供の体になった。
必要な処置。それはわかっているが、彼にとって子供であるというのは受け入れがたい現実であった。
ドグマは、小さな体をバタつかせた。
保温とクッションのために敷きつめられている落ち葉が、ガサガサと音を立てた。
生暖かいオロカの両腕は、拘束機のようにガッチリと彼をとらえてなかなか離さなかった。
「くそ……暑苦しい……この野郎!」
力を振り絞って何とかオロカの腕の中から抜け出して、そのまま這い出そうとしたが、衣服が何かに引っかかって進めなかった。
パチンと指を鳴らして"発火"の術を使い、指先の炎をかざしてみると、オロカの手が衣服の裾を握りしめていた。
骨ばったその拳を踏みつけてやりたい衝動を抑えながら、ドグマはオロカの指を一本ずつつかんで開かせた。

「うぅん……」
オロカがごろりと寝返りをうった。
その背中に舌打ちをくれて見渡すと、三郎も暗示郎も静かな寝息を立てて眠っているのが見えた。
ドグマはゆっくりと歩き出した。
歩を進めるごとに、木の床がミシッ、ミシッと小さな音を立てた。
置いてある松明の中から一番小さいものをつかみ取り、出口の向こうへ投げた。
松明は闇の中に消え、下の方でカツンと音を立てた。

出口から縄梯子を落とし、ドグマは指先の炎をいったん消した。
月明かりを頼りに、足をかけて降りて行く。
視界に建物の下部が影となって、広がって見えた。
「しかし、ろくに道具もないのに、よくこれだけのものを作ったものだ」
ドグマの呟きには、羨望がにじみ出ていた。
大樹の上に建てられたツリーハウス。
その制作を言い出したのは三郎だった。
── 一度、作ってみたいと思っていましたので──
単に安全だからというだけでなく、その言葉には幼い頃からの夢が感じ取れた。
制作には、魔術や魔具は最低限しか使われなかった。
そのため時間はかかったが、三郎にとっては夢の実現に魔術を用いる事は"邪道"だったのだろう。
それはいいが、小さな体の上にまだ足元もおぼつかなかったドグマは、ほとんど制作に加われなかったのである。
悔しさに唇を噛みつつ、作業を横目にひたすら歩く練習をしていた。
おかげで、完成する頃には肉体年齢相応の──五歳児相当の運動能力は身についたのだが。

ドグマは地面に降りると松明を拾い上げ、着火した。
用足しを済ませると、遠くから聞こえた何かの獣の鳴き声に視線をあげた。
月明かりを遮る木々の葉陰が織りなす闇が、どこまでも広がっていた。
「……よし」
小さな決意を込めて、ドグマは呟いた。
「今夜は、歩けるところまで行ってやろう。オロカの奴が一人歩きを嫌がるからな、ちょうどいい」
……確かに高度な術をこの体で使うのは不安があるが、獣を蹴散らす程度の術ならば十分に使える。
護身の上では問題ないのに、何を心配しているのだ、あの男は。
心の中で毒づくと、ドグマは手探りで腰にさした指揮棒を確かめ、歩き始めた。
 
 
 
「うッ!」
ドグマは木の根に足を引っかけ、前のめりに転倒した。
疲労で、足が思ったより上がっていなかったらしい。
すりむいた膝小僧から、じんわりと血がにじんだ。
ドグマは痛みに耐えながら、己を叱咤した。
「まだだ、まだ行ける!」
立ち上がろうとして、ふとドグマは肩口にくっついているものに気づいた。
それは小指の先ほどの、小さな蜘蛛だった。
足の数が多い生き物が嫌いな彼は眉をひそめ、フッと強く息をふきかけた。
蜘蛛は闇の中に吹き飛び、見えなくなった。
転がっている松明の火は消えかけていた。布に染み込ませた油が尽きたのだ。
ドグマは腰を上げると、ゆらゆらと舞うように腕を振りながら、ぶつぶつと元素魔術の"鬼火"の呪文を唱えた。
空中にふわりと火の玉が浮かび上がった。
松明の火を消して捨て、ドグマが歩き出すと、彼にまとわりつくようにふわふわと火の玉も続いた。
 
 
 
ドグマは地面に膝を落とし、はぁはぁと荒い息をついた。
ぽたぽたと顎からしたたった汗が、地表を濡らした。
「もう少し……もう少し……」
かくかくと笑う膝に力を込めて、立ち上がった。
すると、森の木々が途切れて小さな広場のようになり、月明かりがさしているのが遠くに見えた。
「あそこがゴールだ」
ドグマはそう決めると、足を半ばひきずるようにして歩き始めた。
ドグマは己を励ますように、尾崎豊の"15の夜"を歌い始めた。
「──盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま 暗い夜の帳の中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に 自由になれた気がした 15の夜──」
息がきれ、声も途切れ途切れになってしまいはしたが、元気が湧いてくる気がした。
彼は最後の力を振り絞って、疲労でずっしりと重い足を前に進め続けた。月明かりの中に、爪先が踏み込んだ。
「着い……た!」
ドグマは、草の上に仰向けに身を投げ出した。
空を見上げると、葉陰の切れ目から星の輝きが見えた。
くたくたに疲れきってはいたが、達成感と快さをいっぱいに感じた。
「どうだ、やったぞ……」
 
 
 
ドグマは寝転がって、しばらく休息をとった。
「さて……帰るか」
爆撃機の玩具を呼び寄せようと、そのままの姿勢で腰に手を伸ばした。
指揮棒があるはずの場所で、指が空を切った。
「ん……?」
ぺたぺたと腰を探った。
「な……無い!?」
さぁっと、血の気が引くのを感じた。
「どこで落とした……? 転んだ時か?」
オォォーン。
遠くから獣の遠吠えが響いてきた。
ぞくり、と背筋に寒気を覚えた。
夜闇が急に恐ろしいものに思え、どくん、どくんと心臓が強く脈打った。
「落ち……落ち着け……他に身を守る手段など、いくらでもある……
少し休んだら、探しながら歩いて戻ろう。そうだ、きっと見つかる……見つかるとも」
早鐘のように鳴る心臓をなだめるように胸を押さえながら、ドグマは自らに言い聞かせるように呟いた。
……"力のタクト"が無いとなると、私の最大の弱点は、術の発動が早くはないという点だが……
「……あぁ、そうだ。護身用にゴーレムを作っておくか……」
呪文を唱えようとした時、突然異変は起きた。
「うッ……?」
強い眩暈がドグマを襲い、彼は目をつぶった。
ぐらぐらと世界が歪み、揺れるような感覚に、吐き気を覚えた。
ビリビリビリッ、と、布が破れる音がした。
ドグマが目を開けると、引きちぎられた衣服の残骸が汗で張り付いた、長い腕が伸びていた。
それは、見慣れた自分の──大人の腕だった。
「何……?」
ドグマは何が起きているのかわからず、混乱した。
「術が解けた……のか? 馬鹿な……」
慌てて身を起こそうとした。
しかし、全身が鉛のように重く、貼り付けられたかのように地表から引き剥がせなかった。
「く……ッ?」
ドグマは起き上がるのを諦め、全神経を右腕に集中し、持ち上げようとした。
だが、それさえ叶わなかった。
いかに歯を食いしばろうとも、ぷるぷると筋肉が震えるばかりだった。
「駄目だ、動けん……」
力を抜き、荒い息をついた。
こんな状態では、使える術も酷く限られる。
ドグマはどうしたらよいか考え、早々に結論を出した。
「……仕方が無い」
目を閉じ、強く集中した。
『三郎。三郎。緊急事態だ。迎えに来い』
"念話"を闇に向けて放った。
通常ならば、届く距離ではない。
それでも、三郎の高い危険察知能力に、一縷の望みを託した。
──というより、そのくらいしか今のドグマにできる事は無かったのだ。
がさり、と薮が鳴った。
ドグマが目を開くと、水色髪の男女が彼を取り囲んでいた。
同じような顔立ちが、同じような微笑を浮かべていた。
「貴様ら……貴様らも、流れ着いていたのか?」
「……」
「貴様らの仕業か?」
「……」
「マルセルの差し金か?」
「……」
水色髪の男女は、ドグマの問いかけに答えなかった。
ただ、貼りついたような笑みを浮かべていた。
さくり、さくりと、草を踏みしめて近づいてきた。
「よせ……く、来るな……」
彼らに陵辱された忌まわしい記憶が蘇り、ドグマの体が冷たい恐怖に震えた。
ゆっくりと、無数の白い手がその裸体に差し伸べられた。
「さっ……触るなァァァァ!」
ずぶりと心の古傷が開き、ドグマは絶叫を上げた。
脳の奥底に白い闇が広がり、彼の意識はふつりと途切れた。

 

2.

暗示郎は、ツリーハウスの窓から顔を出した。
木漏れ日がきらめき、朝の涼やかな風が彼の柔らかな金髪をくすぐって通り抜けて行く。
「うーん、いい気持ち。これでオーブンがあれば最高なのにな」

もぞもぞと毛布が動き、三郎がゆっくりと身を起こした。
「おはようございます……
オーブンがあっても電気が無ければ、意味無いじゃありませんか……」
暗示郎は振り向き、ふくれて唇を尖らせた。
「三郎の意地悪ぅ。夢に現実を持ち込まないでよっ」
「夢……ですか……」
三郎は手で顔を覆い、こめかみを軽く揉みほぐした。
「どしたの?」
「いえ……何か夢を見た気がするんですが……忘れました」
「あぁ、そういうのって、何か気になるよね」

「ふぁーあ」
オロカが起き上がり、大きく伸びをした。
「おはよ……」
「おっはよー!」
「おはようございます」
「ドグマも、おは……」
ぽふ、とオロカは毛布の膨らみに手を置いた。しかし、毛布は抵抗なくへこんだ。
「あれ?ドグマ?」
オロカは毛布を右からめくり、左からめくり、最後には蹴り上げた。
「いないぞ。ドグマは?」
「用足しにでも行ったんじゃない?」
「いや……」
三郎は、部屋の隅に置いてある三本の松明に目をやった。
「残り……四本、ありましたよね」
……夜のうちに出かけて、何かあったのかもしれない。
そう考えて、三郎はスッと立ち上がった。
「ちょっと、見てきます」
言うなり、素早くコートを羽織り、帽子をかぶりながら"逃げ道サンダル"に足を突っ込んだ。
更に、枕の下に入れてあった剪定鋏を引き抜き、コートのポケットに入れた。
そしてトンッと床を蹴ると、窓から疾風のように空中を駆け下りた。

オロカも、バタバタと身支度をした。
要所を補強された革服を着込み、ブーツを履く。
気ばかりが焦って空回りし、靴紐を結ぶのに余計時間がかかった。
「そんなに焦らなくても、まだドグマの身に何かあったって決まったわけじゃないでしょ」
"ペ天使の偽翼"を背中につけながら軽い口調で暗示郎が言うと、オロカはギリッと歯噛みしながら言った。
「気休め言うな。無事にドグマが見つかったら笑えよ」
 
 
 
三郎は、コートのポケットから三つの紙包みを取り出した。
ドグマ、オロカ、暗示郎と書いてあるそれのうち、最初の一つを開くと、中に入っていた髪の毛をつまみ、目を閉じて精神を集中した。
髪の毛がくいっと曲がり、森の奥を指し示した。

「どうだ?」
オロカと暗示郎が、縄梯子を下りてきた。
「あちらのようです」
三郎は森の奥を指差すと、トンッとサンダルの爪先で地面を叩いた。
「では」
「ちょっと待て。俺も行く」
「僕も」
オロカと暗示郎の言葉に、三郎は首を横に降った。
「一刻を争う事態かもしれませんから」
「待てったら。
もし、ドグマが何かに捕まったとして、あのドグマを倒すような奴を、おまえ一人で倒せるのか!」
刀の柄を握る手に力を込めながらオロカが言うと、三郎は面倒臭そうに振り向きもせず応じた。
「仮にそんな強敵が居るとしたら、正面から戦う気などないですよ。
隙をみて兄上を取り返して、逃げてこればいいだけです。それには、一人の方がやりやすいんです」
「失敗して、おまえも捕まったらどうするんだ!」
「本当に、そう思って言っています? ただ、貴方が役に立ちたくて言っているだけではないのですか?」
「何だってッ!」
カチンときて、オロカは三郎に詰め寄った。
「ちょーっと待った、待った! ケンカしてる時間こそ無いでしょ!」
暗示郎が、二人の間に割り込んだ。

結局、折れたのは三郎の方だった。
一人なら連れて空を駆けられなくもないが、もし長距離だとサンダルに込めてある魔力の消耗が激しいし、二人ともなればとても無理だ。
内心、焦れながらも表情を帽子の下に押し隠し、二人を先導して森の中を歩いていった。
途中、木の下に転がっている松明を見つけた。
「やはり、何かあったのかもしれませんね」
木の根に付着していたわずかな血痕を見下ろしながら三郎が言うと、表情を引き締めたオロカと暗示郎は頷いた。

3.

ドグマは、吸い上げられるような嫌な感触で目を覚ました。
まぶたを開けると、見知らぬ男の顔が目と鼻の先にあり、唇を合わされていた。
「……ッ!」
反射的に突き飛ばそうとしたが、首から下が粘りつく何かでがっちりとがんじがらめにされており、指先一つ動かせなかった。
唯一自由の効く頭を背けようとすると、男は案外すんなりと自分から唇を離した。
ドグマの体がゆらゆらと揺れた。
どうやら、上から吊り下げられているらしかった。

「目を覚ましたのか」
「貴様……?」
"鬼火"は、まだ宙を漂っていた。
その明かりに照らし出された男の姿は、上半身は人間だったが、下半身は巨大な蜘蛛だった。
「くッ……」
ドグマは全身の力を振り絞って、拘束を引きちぎろうとした。
しかし、細いが強靭な糸が分厚く繭のようにドグマの体を覆い尽くしており、びくともしなかった。
「無駄なことはやめておけ。たとえ大人の体だったとしても、内からその拘束を破ることなどできはしない」
「大人の体……だと?」
ドグマは自分の喉から発されている声が、声変わり前の高音であることに、今更ながら気づいた。
……やられた。あれは幻覚だったのか。婦女子か何かのように、恐怖で失神するとは情けない。
ドグマは悔しさにギリッと奥歯を噛み締めた。

もはや自力ではどうにもなるまいと、ドグマは腹をくくってじたばたするのはやめた。
彼は自分の身に意識を向け、状態を知ろうとした。
「……なに……っ?」
魔力が、半分以上失われていた。
唇を合わされていたことを思い出し、魔力を奪われたのかと理解した。
……しかし、それにしては……
「魔物に親戚は居ないはずだが?」
「あぁ、確かに人間同士なら、血縁者でなければ魔力奪取はできない。
だが、魔物となって可能となったのさ。もっとも、それには条件があるが」
「条件とは?」
「事前に、血縁者の夢を食っておくことだ」
「夢を……食う?」
男は、大きな口の端を吊り上げてニッと笑った。
「俺様の名は、獏」
「バク……」
確か、悪夢を食う架空の獣の名であったかと、ドグマは思い出していた。

「しかし、てっきり一緒の布団で寝ている奴が血縁者かと思ったんだがな。
全然、似ても似つかぬ細面の奴が血縁者とは思わなんだ」
獏と名乗った男は、数匹の小さな蜘蛛に指先を這わせ、弄んでいた。
「その蜘蛛は……」
ドグマが森の中で転んだ時に肩についていた蜘蛛と、同じ模様をしていた。
「あぁ、俺様の分身さ。便利だぞ。
こんな小さな虫けらの侵入を防ぐことなどなかなかできんし、仮に気づかれたとしても何とも思われないからな」
「……ふん」
分身に食わせた悪夢の内容を読み取り、それを幻術として再現する。
そんなところであろうと、ドグマは獏の能力を推し量った。
……であれば、既に夢を食われているであろうオロカや三郎には勝ち目が薄い。
暗示郎はどうか知らないが、初心者魔術師一人で勝てる敵とも思えない。
ドグマはそう判断した。

周囲を見ると、暗がりの中に糸玉がいくつも吊るされていた。その上部からは、頭蓋骨がはみ出していた。
「それで? 私をどうする気だ。魔力を吸いつくして、殺す気か」
「いいや。カスならそれでいいんだがな。
こんな質・量ともに優れた、天上の甘露のごとき魔力の持ち主には、そうそうお目にかかれん。
適当に吸っては回復を待ち、また頂く。せいぜい長持ちしてもらおうか」
「悠長なことだ。今に、私の弟や部下が、貴様を殺しに来るであろうに。
ひとつ、忠告してやる。さっさと私を殺せ。そして去るがいい」
獏は悠然と笑った。
「わざわざ来てくれるなら、誘い出す手間が省けるというものだ。
……わかっているのだろう?
あいつらに勝ち目がない事は、既に確定していると。確定したから、仕掛けたのだと」
「……」
「おまえほど良い餌でなくとも、まぁ美味しく頂いてやるさ」

持続時間が切れて、フッと"鬼火"が消えた。
「どれ、もう一口」
獏は、ドグマの頭をつかんだ。夜目が利くらしく、その動作にはいささかの不自由も無かった。
がっちりと固定されたドグマの頭に獏は顔を寄せ、唇を重ねた。
「……ッ」
ドグマは気力を振り絞って、魔力を吸い取られるのに抗った。
「ほぉぅ、抵抗するのか」
唇を離して、獏は笑った。その目が、金色に光った。
「うっ……」
ぬるりとした不快な感触が両足を這い上がるのを、ドグマは感じた。
「や、やめ……」
ずぶずぶっ。
にゅるにゅるした異物が、股間からドグマの体の芯に潜り込んだ。
最奥を突き上げ、激痛の槍が体を貫いた。
「ぎゃあァァァァ!」
ドグマは叫び声を上げた。
糸玉に覆われた体に、異物が侵入する余地など無い。第一そもそも、今の体に異物が入るべき穴など無い。
それ故に幻覚とわかりきってはいても、だからといって耐えられるものではなかった。
苦痛に心をかき乱されたドグマの唇に獏は吸いつき、やすやすと魔力を奪った。
「抵抗するだけ時間の無駄だ、痛がり屋」

 

4.

森の中を行くうち、徐々に地面の勾配がきつくなってきた。
一番体力の無い暗示郎が音を上げ始めた頃、高い崖に行き当たり、洞窟が口を開けているところへ行き着いた。
「ここのようですね」
三郎は指でつまんでいた髪の毛を紙に包んで、コートのポケットにしまった。
「様子を見てきます。待っていてください」
口を開きかけたオロカが何か言わないうちに、三郎は素早くキーワードを唱えた。
『僕は通りすがりの旅の者です』
頭に被っている"影男の帽子"の魔力が、それに応じて引き出された。
「え……?」
「んんっ……?」
オロカと暗示郎には、目の前に立っている三郎が誰なのかわからなくなった。
三郎は二人に構わず、流れるように腕を動かしながら付与魔術の"猫目"の呪文を唱えた。
『我は黒猫。友とするは闇』
魔力が彼の両目に宿り、暗視の力を得た。
最後に剪定鋏をポケットから取り出すと、キーワードを唱えた。
『双翼よ、我を護れ』
剪定鋏は、鍔の大きな二本の短剣に姿を変えた。
それを手にしつつ、帽子を目深にかぶり直して、幻惑の力を最大にした。
三郎の姿は、周囲の風景に溶け込むように消えて行った。

ひゅうと吹き抜けた風に髪をなぶられて、はっとオロカと暗示郎は我にかえった。
「今の……三郎だったよね?」
「たぶん……」
 
 
 
……あの二人には悪いですが、このまま兄上を救出してしまいましょう。
たとえ倒す必要のある敵がいるとしても、兄上の力を借りた方が良いことは明白ですから。
まぁ、様子を伺っていたらたまたま敵が隙を見せたのだと言えば、角も立たないでしょう。
三郎はそう考えながら、ゆっくりゆっくりと歩を進め、洞窟を進んでいった。
あまり激しい動作をすると、透明化が解けてしまうためだ。

何かのかすかな感触が頬に当たり、三郎は地を蹴って大きく後ずさった。
目を凝らすと、ちぎれた細い細い糸が数本、ふわふわと宙をたなびいていた。
……なんだ。蜘蛛の巣ですか。
今の動きで透明化が解けて、姿が現れてしまっていた。
三郎は念のため蜘蛛の巣に魔力を感じないことを確認すると、再び帽子をかぶり直して姿を消した。
そのわずかな時間のあいだ、糸を引いて降りてきた小さな蜘蛛が背中に張り付いたのに、三郎は気がつかなかった。

どうやら前方が開けて、広い空間が開けているようだった。
三郎は足音を忍ばせて、慎重に進んで行こうとした。
シャリーン!
手元で鋭い金属音が鳴った。
はっと息を飲む三郎の目前で、信じ難い光景が展開されていた。
自分の手が、勝手に二本の短剣を打ち合わせていたのだ。
透明化も解けて、姿が現れていた。
「な、なんですか……?」
思わず、三郎は呟いていた。
手足が勝手に踊るように動き、前に進んで行く。
止めようと、力を込めることすらできない。まるで他人の手足のようだった。
「糸……?」
よく見ると、蜘蛛の糸のように透き通った糸が、手足に付着していた。

広い空間に躍り出た三郎は、ぎょっとした。
ロングスカートを履いた巨大な女が、自分を見下ろしている。
マリオネットの操り棒を手にして。
赤いルージュの引かれた唇が歌うように口ずさみ、マニキュアの塗られた爪の長い手が操り棒を弄ぶ。
「ウィロー。ウィロー。貴方のためなのよ。我が儘はおよし。貴方のためなのよ」
望まぬ舞を強要されながら、三郎は叫んだ。
「やめてください、母上!」
その手から短剣がすっぽ抜けて、飛んで行った。
どさり。
足元で音がした。
思わずぎゅっと閉じていた目をおそるおそる三郎が開くと、そこには等身大になった女が倒れていた。
豊かな胸の谷間に、三郎の短剣を深々と突き刺して。
「あァァァァーッ!」
三郎の喉から絶叫がほとばしった。
 
 
 
オロカと暗示郎は、火を起こしたりしながら洞窟の外で待っていた。
「あァァァァーッ!」
叫び声が、二人の耳に届いた。
「今の声……」
「三郎!」
オロカは、洞窟に突っ込んだ。
松明を手にした暗示郎が、慌てて後を追った。

5.

洞窟を走り、広い空間に飛び出すと、オロカの目に異形の姿が映った。
上半身は人間の男、下半身は巨大な蜘蛛。
八本の脚を器用に使い、ぎゅっと縮こまっている三郎をくるくると回して糸をかけていた。
「魔物か! 三郎を離せ!」
刀を手に突っ込むと、異形は三郎を放り出してさぁっと上昇し、暗がりの中に見えなくなった。

「三郎! おい、三郎! 大丈夫か!」
粘りつく糸を取り払いながら、オロカは呼びかけた。
「あぁぁ……うおうぅうぅぅ……」
三郎は頭を抱えて、がたがたと震えていた。
オロカの呼びかけが、まるで耳に入っていないようだった。

すうっと闇の中の気配が近づいてくるのに気づき、オロカは刀を手に前へ踏み出た。
「やい、魔物! 三郎に何をした!」
異形──獏は糸で宙に逆さまになってぶらさがり、嘲笑った。
「食った悪夢を、見せてやっただけさ。
そのマザコン野郎と違って、ドーナツ食ってる夢くらいしか見てない、呑気な自分に感謝するんだな!」
「なんだとぅ? てめぇ、降りて来い!」
オロカは刀を振り回したが、獏はそんな安い挑発には乗らなかった。

『オロカ』
暗示郎はオロカの背中に手を触れて、"念話"を送った。
『治癒魔術を試してみる。でも僕、この呪文まだ簡略化できないから、時間かかる。
だから、その間守って。それと、なるべくあいつの気を引いて』
オロカは振り向かずに、小さく頷いた。

……大丈夫かな……イケるかな……
緊張で、暗示郎の胸はどきどきと高鳴った。
暗示郎は、ちらりと三郎に魔術を教わった時の事を思い出した。
 
 
 
「呪文ってさ、『我はナントカ〜』とか言うの、堅っ苦しいね」
暗示郎がそう言うと、三郎は首を振って応じた。
「いえ、それは基本形です。僕でも私でも拙者でも、いいんですよ」
「意外と、アバウトなんだ……」
「そうですねぇ」
三郎は、にこりと微笑んだ。
「旋律は、正確にしなくてはいけません。
しかし、言葉は内容が合ってさえいれば、多少アレンジしてもいいんです。
特に治癒魔術の場合は、アレンジした方がいいかもしれません」
「なんで?」
「支配魔術の多くは、術者の『カリスマ』が効果に影響すると、前にお話ししたかと思いますが」
「うん、聞いた」
「治癒魔術の場合は……対象への『気持ち』、です。
堅苦しい言葉遣いでは気持ちがこもらないと貴方が思うのなら、変えた方がいいかもしれませんね」
 
 
 
暗示郎は松明を地面に突き刺して立てると、オロオロと取り乱した風を装いながら三郎の肩を抱き、揺さぶった。
そして、小声で"平心"──乱れた心を落ち着かせる呪文を唱え始めた。
心の中で、祈りながら。
幸い、必要な動作は相手を抱きしめるというものだけだったので、道化を演じるのにあまり不自然さは無かった。
……お願い……効いて。三郎、戻ってきて。
キザで、クールで、イヤミで、かっこつけーしぃな君にゃ、そんな姿は似合わないってばさ。
……あぁ、でも、そんな君だけど……身内だけに見せる微笑みがあるって、君は気づいてるかな。
あの柔らかくて、ちょっぴり無防備な微笑みが、僕は見たいよ。

『僕と君とは違う人。生まれも育ちも違うけど』

「普通、魔力を奪っても、それを使う時にはあくまで術者の力量によるものだが。
この俺様は、元の持ち主の力量を保ったまま、奪った魔力を使えるのよ。そして……」
獏は"力のタクト"──ドグマの専用品であるはずの魔具を手にした。

『ケンカすることも、すれ違うことも、正直顔を見たくないことすらあるけれど』

「それはドグマの!」
「……こんな芸当もできる!」
獏は宙にぶらさがったまま指揮棒を振るい、"ファナティック・スレイブ"の呪文を高らかに唱えた。
『我に従え! 我に酔え!』
「うわぁッ!」
オロカを強い眩暈と高揚感が襲った。

『それでも、僕には君が必要なのさ。ホントに不思議なことだけど』

「おまえは、どこをどう見たってカス以下だ。要らない。さぁ、自分の刀で自分の首を切り落とせ!」
「ぐぅうぅ……」
オロカの両腕が勝手に刀を構え直し、首に近づけてくる。
オロカは必死で力を振り絞り、それに抗った。
なんとか、刀を押しとどめた。
切っ先が腕の震えを伝えてぷるぷると揺れた。

『君は自分のこと、この世に必要ないとでも思っているのかい?』

「無駄なことを」
獏はオロカを弄ぶようにわざとゆっくりと、糸を伝って近づいていった。
「こうして近づけば、支配力は増すんだ」
「ぐ……ぐぎぃぃぃ!」
オロカは歯を食いしばり、耐えようとした。
しかし、刀はじりじりと持ち上がって行く。
「どこまで耐えられるか、見ものだな」
「ぐぉぉぉぉ!」
「だがまぁ……諦めろ」
……諦めるか!
言葉に出す余裕もなく、オロカは心の中で叫んだ。
……一秒でも! 一秒でも長く耐えるんだ!
そうすりゃ、きっと暗示郎が何とかしてくれる!
全身の筋という筋が浮かび上がり、滝のような汗が流れた。

『ウソ、ウソ、そんなのウソさ。必要ない人だなんて、ただの一人も居りゃしない』

獏がオロカのすぐ頭上まで降りてきた。
ひとつ、あくびをして見せると、指揮棒の先でオロカの頭に触れた。
「終わりだ」
「くぉぉぉ!」
刀がオロカの首筋に達した。
切れ味の悪い刃がじゃりじゃりじゃりとノコギリのように引かれ、皮膚を、肉を裂く。

ブシャァァァ!
間欠泉のように、血潮が噴き上がった。

「あ……?」
オロカは、呆けたような声を漏らした。
首筋はズキズキと痛むが、オロカの頚動脈はあと数ミリのところで無事だった。
獏は笑みを顔に貼りつかせたまま血まみれになって、声も立てずに動かなくなっていた。

──とんっ。

その背後で、三郎が地に降り立った。
返り血を浴びた顔の半面を拭いながら、呟くように言い放った。
「オロカと暗示郎さんを甘く見て遊んでるから、そうなるんですよ」

6.

三郎は、ドグマの髪の毛を再び手にして、頭上を振り仰いだ。
闇を見通す目が、松明の明かりが届かない天井付近にぶら下がっている、いくつもの糸玉を捉えた。
「あそこですね」
髪の毛を紙に包み直してポケットに押し込むと、短剣を片方だけ握った。
そして、トーントーントーンと見えない足場を踏むようにして、空中に駆け上がった。
ふわっと滞空し、糸玉の群れを見回した。
飛び出しているのは、頭蓋骨……頭蓋骨……頭蓋骨……
「居た」
糸玉のひとつからぐったりとしたドグマの頭を発見し、三郎は一蹴りで傍へ近寄った。
空いた手でドグマを抱きかかえると、彼を吊り下げている糸をスパッと切った。

「ちくしょう、やっぱあいつ、かっけぇなぁ」
オロカが、闇に目を凝らして見上げながら呟いた。
 
 
 
獏の死体は洞窟の外に運び出し、燃やして土に埋めた。
なぜこんな奴をわざわざ葬ってやるのかとオロカが尋ねると、三郎はそんな気は別に無いと首を振った。
「魔物の死体を放っておくと別の魔物を呼び寄せるかもしれませんし、そうでなくとも腐るじゃないですか。
ここ、避難所に良いかと思いまして」
「避難所?」
「えぇ。今のところ、ここの気候は穏やかですけど。
時には、台風だの、竜巻だの、来ないとも限りません。
そういう時、ツリーハウスではちょっと心配ですからね」
「ふーん。おまえがいいなら、いいけど」
「時間のある時に、掃除しておきます」
まだ吊るされたままの遺骸を思い返しながら、三郎は応じた。

「しかし、良く覚えたての術で三郎を助けられたよな」
オロカがドグマの体を拘束する粘りつく糸と格闘しながら言うと、暗示郎はてへっと舌を出した。
「偶然だよぅ。魔術って、時たま気まぐれなかかり方をするらしいから。
魔力が強い方が100%勝つとは限らないんだってさ」
「偶然でも何でもいいさ。俺は、何も役にたてなかった」

「そんなことは……ありませんよ」
「そうか?」
三郎は頷いた。
「僕の剣技が防御主体で、攻撃はあまり得意ではないと、知っているでしょう?」
「だっておまえ、あんな鮮やかに」
「それは、自分の事が見えてない相手の首をかっ切る事ぐらい、誰にだってできます」
「あぁ、また透明になってたのか」
「いえ。"影男の帽子"は、そういう激しい動作には耐えませんので。
"インビジブル・アサシン"という幻覚魔術を使いました」
「ふーん?」
「これをかけられた相手は、術者の事を認識できなくなります。
目に見えず、耳に聞こえず、刃を突き立てられてもその痛みすら感じない」
「へぇっ。そんなの使われたら、絶対勝てないじゃないか」
「確かに効果は絶大ですが、代わりに術をかけるために必要な条件が厳しいんです。
かなりの近距離で、かつ姿を見られず、呪文を唱える声をわずかでも聞かれてはならない。
しかも、持続時間もそう長くはない。この術を覚える時、使う機会があるのかと迷ったぐらいですよ」
「そうなのか。そうそう、うまい話は無いな」
「えぇ。この術を開発した暗殺者は、防音材を内側に貼りめぐらした箱で自分を梱包して、小包としてターゲットのもとに郵送させたと伝えられています」

「で……だから?」
「だからって、何を聞いてるんですか。あの、ですね……」
三郎が言葉に詰まっていると、いつの間に意識を取り戻したのか、彼らの足元でドグマがふわっとあくびをした。
「そんな長話をせずとも、『術を使うのに、おまえの背中が必要だった。よく突っ立って、ぎゃあぎゃあわめいてくれた、褒めてやる』と、一言言えば済むだろうが」
「……まぁ、その……そのとおりです」
少しはにかんで顔を背けながら、三郎が認めた。
「そう……そうか」
俺も少しは役に立ててたんだと、オロカは嬉しくなった。

「納得したか。わかったら、手を動かせ」
「あ、すまん」
知らず知らずのうちに止めていた手に力を込めて、オロカは再び粘りつく糸と格闘を始めた。

第2章「舞い下りた純白雪花」>>

 
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