第10章「僕と俺と私の架け橋 」
 

 

1.

「今日の飯、美味かったなぁ。また今度、食いたい」
「そぉ? ありがとー♪」
夕食を終え、四人は寝る準備をしていた。
ばさっと毛布を広げた三郎は、棚に置いてある手鏡が、ほのかな光を放ち始めたのに気がついた。
「おや……今夜は早いですね」
鏡を手にとった三郎を見て、暗示郎がはしゃいだ声を出した。
「サクラ? 行こう! 行こう! 一人で行くのも、ちょっとコワいって思ってたし、みんなで行こ!」
「そういえば、この四人でというのは無かったな。まぁ、良かろう」
ドグマも、ごろりと横になりながら頷いた。
四人は毛布を被り、順番に鏡を額に押し付けた。
 
 
 
広い、フローリングの床。白や黄色のビニールテープが貼られ、ラインが引かれている。
見上げると、ドーム状の高い天井に、吊るされたライトが並んでいるのが見えた。
「体育館ですか……?」
「みたいだね……って……プッ、三郎、似合わない……」
クックッと暗示郎に笑われて三郎が見ると、四人とも体操服を着ていた。
三郎は足元に置いてあったトランクの持ち手を握りながら、ブツブツと言った。
「……この間の学ランよりは、マシです……」
「学ラン! それも、見たかったなぁ! 今度見せてよ!」
「自分で選んでるわけじゃ、ないんです……っ」

トーンと音がして四人が振り返ると、バスケットボールがフープに当たって跳ね返っていた。
ぼんやり突っ立っているサクラの頭にまともに当たり、彼はひっくり返った。
「あぁぁぁ。大丈夫?」
暗示郎が駆け寄ると、サクラは床に転がったまま、ぱちぱちと目をしばたたかせた。
「……誰?」
残りの三人も歩み寄り、四人は口々に名乗った。
「僕、暗示郎!」
「僕は、三郎です」
「俺、オロカ」
「私は、ドグマだ」
「……どこの国の人?」
「そんなもの、どこでもよかろう」

「今日は、バスケットですか?」
三郎が問うと、サクラはむっくりと身を起こしながら言った。
「う、うーん……いま、体育でやってるんだけど、さっぱりできなくて……
大勢の中に放り出されると、何やっていいかわかんなくて、まごまごしちゃって……
適当にうろついてるといきなりパス出されるけど、ガーッと相手チームが来て、慌ててシュートしても、全然入んないし……」
「あぁ……気持ちはわかりますよ。僕も団体球技はあまり……
いえ、本気で身をいれて練習すれば、それなりにできたでしょうが。好きではありませんでしたので」
「お兄さんも、苦手だったの?」
ぼんやりとした顔つきで直球に問われ、三郎は少々たじろいた。
「え、えぇと……ス、スリーポイントシュートなら得意でしたよ。それくらいなら、教えられますが」
「フェイントのかけ方とか、教えてあげよっかー?」
「そんな部分的に教えても仕方なかろう。まずは、戦術的な事からだな……」
暗示郎とドグマが、口を挟んだ。
「むしろそれ、後で良くない? まず基本からさー……
それにサクラって、あんま仕切るタイプには見えないけど」
「仕切れ。学校体育など、どうせ何も考えずに漫然とやっている奴が多かろう。
作戦を立て、指示を出す司令塔が居るチームが勝つのだ。
それができれば、シュートなどたいして入らんでも良い」
「また、極端な……勝てりゃいいってもんでも、ないでしょー。
ちゃんと先生にそこそこ活躍してるよってアピールしとかないと、通信簿でいい点もらえないよ」
「貴様こそ、教師に媚びを売る事しか考えとらんではないか」

「……えっと」
三人にいろいろ言われて困った様子で、サクラは黙っているオロカをちらりと見上げた。
「あ、悪い。俺は……」
言いかけたオロカの肩を、何者かが後ろからぐいっとつかんだ。
振り返ると、鮮やかな真紅の長い髪が目を引く女が、そこに居た。

「勝負しろ」
女は、単刀直入にオロカヘ告げた。
「……い、いや俺、バスケットっていうの、やった事ないんだ」
「誰がバスケットやれッつったよ。てめぇの持ってるブツは、何だ」
「あ……」
オロカは、自分の手が刀の柄を握りしめている事に、今頃気がついた。

 
 

「『和』に剣士が居るってのは、おまえだろ。私と勝負しな!」
女は、青光りするほどに研ぎ澄まされたナイフをオロカに突きつけた。
「なんか、流れ全部無視な子がキター!」
女の子なのは嬉しいけど、と思いながら暗示郎は小声で言った。

  「相手してあげれば、オロカぁ?
バスケット知らないんでしょ?
こっちは、こっちでやってるからさぁ」
「う、うーん……そりゃ、俺も武器で戦えるのはちょっと、
嬉しいけど……魔術師ばっかりと思ってたし……
しかし、女性とやるってのは……
もし顔に傷でもつけたら……
あ、夢の中だから、現実ではつかないのか……?」
「あぁッ? 女だから、あんだってッ!」
女は、オロカの胸倉をつかんだ。
火を噴きそうな激しい目をぐっと寄せられ、オロカはどきどきとした。
「あ、いや、すまん。
それは、武人として失礼だったな。わかった……」
オロカは胸の高鳴りを抑えながら女から目をそらし、三郎に向けた。
「三郎、短剣を貸してくれないか?
衝撃を吸収する力場とかいうのは、消せるんなら消してくれ」
「……だから、どうして貴方はいつも、相手の土俵で戦おうとするんです?」
「だって、どれだけやれるのか、見たいじゃないか」
「『見たい』とは何だ、『見たい』とは!
てめぇ、やりもしないうちから上に立った気でいンのか!」
胸倉をつかまれたまま、オロカはがくがくと揺さぶられた。
「い、いや、悪い。他意は無い。
スゲェものは、スゲェものが一番わかる方法で、肌で感じたいってだけだ。
それに、決して手加減しようってンじゃ、ないんだ。
確かに刀の方が慣れてるが、俺も短剣を使えないわけじゃない」
「……なら、いい」
女は、やっと手を離した。

 
 

三郎から借りた短剣を一本右手に握り、軽く素振りをしながらオロカは問いかけた。
「俺は、オロカ。おまえは?」
「シモーヌ」
女も屈伸運動をしながら、ぶっきらぼうに答えた。
意外と優雅な響きの名だな、とオロカは思ったが、言うと怒られそうなので口には出さなかった。
オロカは改めて、頭の先から足の先まで、シモーヌの全身に目を走らせた。
印象的には大女のような気がしたが、よく見ると体格はそう大きくなく、むしろ小柄な方だった。
体操服のブルマからむき出しの太ももに目が止まり、赤らんだ顔を慌てて手で隠した。

「もう、いい。やろう」
「あぁッ!」
シモーヌは頷くなり、いきなりまっすぐに飛び込んできた。
ナイフを受けた短剣に、強烈な衝撃が加わった。
すげぇ……まるで、生きた弓矢だ!
全身すべての筋肉を、ひとつのバネのように使いきってる!
声に出さずに感嘆すると、オロカは踏み込みざまに突きを放った。
シモーヌはぎりぎりのところで見切ってかわし、肩に触れるか触れぬかというすぐ脇を刃が通り過ぎていった。
その目はかっと見開かれ、オロカの目からそらされる様子も無かった。
シモーヌはかわした動作からそのまま流れるように、左肘をオロカの胸に叩き込んだ。
痛ェ……
オロカは奥歯を噛みしめて痛みをこらえ、足で思いきりシモーヌの足元を払った。
不意をつかれて足をすくわれ、シモーヌは仰向けにひっくり返った。
オロカはシモーヌの首筋に短剣を突きつけ、終わり、としようとした。
しかし、同時にシモーヌも倒れこみながら鋭い突きを放った。
短剣とナイフの切っ先が両方とも、互いの喉元をとらえて止まった。

 

「……引き分けだな」
ドグマが言った。
オロカがちらりと横目で見やると、こっちはこっちでやってるなどと言いながら、全員観戦していた。
「詰めが甘い。倒したら勝ったなどと、思うのが悪い」
「まったくだな」
……こんな、ひるむという事のまるで無い、闘志にあふれる相手は始めてだ!
そう思いながら、オロカは同意した。
「もう一本!」
シモーヌが、ナイフを構え直しながら立ち上がった。
「あぁ!」
オロカも、喜びを露わにして短剣を構えた。

「シモーヌ! 何やってるの? 私の鏡を、勝手に使って……」
突然、この場に居ない女の声が響いた。聞き覚えのある声だった。
「マルセル……?」
オロカは呟いて、声の源を見やった。
シモーヌが首にしているチョーカーについた水色の石が、目玉のようにぎょろっと光っていた。
オロカは、自分の喉元に手をやった。かつてそこに巻きついていた、良心ロープが思い出された。
「うるせぇ! いま、いいところなんだ。引っ込んでな!」
「駄目よ、駄目。女の子がそんな事しちゃあ、駄目でしょう? 帰ってらっしゃい!」
「女、女って……」
シモーヌは何か反論しかけたが、その姿はかき消すように無くなった。

「……練習しよっか」
「……うん」
暗示郎が促し、サクラが頷いた。
トーントーンと、ボールが床にバウンドする音が響いた。
「……」
オロカはゆっくりと歩を進め、シモーヌが立っていた場所にしゃがみこんだ。
床に手をついて、冷たい感触をいつまでも確かめていた。
 
 
 
「……」
オロカは目を開けた。ツリーハウスの天井が見えた。
がばりと身を起こして、自分の手を見た。床の、冷たい感触がまだ残っているようだった。
「……会いたい」
オロカは呟いた。
三人が、起き上がる気配がした。
オロカは手を見つめたまま、言葉を続けた。
「マルセルに、囚われているんだろうか? もう一度、会いたい……助けに、行きたい……」
「……何で。別に、助けを求められたわけでもないのに?」
「だって……会いたいから」
暗示郎の問いには、そうとしか答えられなかった。
「まさか、春が来たとか言わないよね?」
「……」
燃えるような、まっすぐなシモーヌの瞳が思い出された。
オロカは、再びどきどきと胸が高鳴るのを感じた。
「そう……かも、しれない」
「ろくに言葉も交わしてないのに、よくそんな簡単に好きになれるね!?
しかも、あんなコワい子のどこがいいのさ?」
「まったくです……そばにいて、落ち着かないでしょうにねぇ……」
「胸の大きさ以外は、女じゃないな」
「……ドグマ、えっち」
「男なら、最初に見るだろうが」

「三郎!」
オロカは立ち上がって、三郎に詰め寄った。
「行く方法は、無いのか! 髪の毛とか無くっちゃ、駄目なのか?」
「……」
三郎はしばらく押し黙った後、口を開いた。
「無い事もありませんが……危険です」
「どう、危険なんだ!」
「空間転移の術として、代表的なものがふたつあります。
ひとつは、風属性の『テレポート』。もうひとつが、水属性の『ゲート』です。
『テレポート』は、場所と場所を結んで、跳び越えます。
『ゲート』はそれに対し、人と人を結んで、跳び越えるというものです。
『ゲート』は『テレポート』と異なり、あちらとこちらに魔法陣を描いたりする手間がなく、行った事がないところにも行けるという利点があります。
その代わり、重大なリスクをはらみます」
「リスク……?」
「わかりませんか。どこに跳んでいくかわからない、という点ですよ。
仮に目標とする相手が火の海に居たなら、火の中に飛び込む事になりかねません。
貴方の言うように、彼女が囚われている可能性がある状況で『ゲート』を使うのは、無謀にすぎます」
……そもそも、最近まで習得を見送っていたのも、リスクのある術は好みではなかったからなんですよね。
プライバシーの侵害になりかねない、迷惑な術という事もありますが。
兄上が熱を出して倒れて、朽葉さんを探しに行ったりした経験から、必要に迫られて覚えましたけれども。
後悔しても仕方がありませんが、習得しておけば庭園でマルセルに囚われる事も無かったかもしれないのに……
三郎は過去に思いを馳せながら、説明した。

「……」
オロカは考えた。
リスクがあるというのは理解できたが、居ても立ってもいられなかった。
「……俺が勝手に行きたいだけだから、着いてきてくれとは言わない。三郎、俺を跳ばしてくれないか?」
「……」
ハーッ、と三郎は長い溜め息をついた。
「馬鹿ですか、貴方は」
「自分でも、馬鹿だと思うけど……」
「……いえね、あのですね。何と言いますかね。
貴方が彼女を放っておけないように、僕も貴方を放ってはおけないのですよ」
「三郎……?」
オロカは、しげしげと三郎を見つめた。
「何です、その顔は」
「いや……おまえにそんな事言われるとは、思わなくて……」
「変わったよね、三郎」
暗示郎が、くすっと笑った。
三郎は頭を掻きながら、横を向いた。
「……あぁ、言うんじゃなかった。もっと、遠回しな言い方をしようと思えば、できましたのに……」
「あぁ、行くのか! 行くのだな、二人とも!
まったく仕方のない奴らだ、仕方がないな! 私も行ってやる!」
どすんとドグマが拳で床を叩くと、暗示郎は再びくすりと笑った。
「ドグマも、変わったよねぇ。誰かの後を着いていこうだなんて、ねぇ。
でも、行くのはいいけど、こんな夜中じゃなくてもさぁ。
いったん寝直して、ちゃんと朝御飯食べてからにしようねー♪」
オロカはすぐにでも行きたがったのだが、暗示郎の提案に従い、四人は寝直す事にした。
 
 
 
三郎はうとうととまどろんでいたが、なかなか深い眠りに入る事ができず、結局目を覚ましてしまった。
……心を決めたつもりでしたが、やはり不安なものは不安ですね。
かつて良心ロープが巻きついていた喉元をさすりながら目を開けると、暗がりに光を感じた。
見ると、火の玉が宙に漂い、光を放っていた。
「兄上……?」
「……ん」
ドグマが、テーブルの上にチョークで描いた、小さいが緻密な魔法陣の上で両手をかざしていた。
手と手の間の空間で、熱した飴のような物体が、くるくると形を変えながら伸び縮みしていた。
「こんな夜更けに……何をされているのですか?」
「オロカの奴に、プレゼントのひとつも用意してやろうかとな……」
「それは……気の利くことですね」
「あいつは、馬鹿だからな……告り方ぐらい、知っているのであろうな……?」
「……ぷっ」
三郎は、小さく吹き出した。そして歩み寄り、ドグマの向かいの席に座った。
「まだ少し時間がかかる。先に寝ろ」
「目が覚めてしまいましたし……見ていても、構いませんか。
創造系の術は僕には使えませんが、見るのは好きです」
「ふん……勝手にしろ」
 
 
 
翌朝、四人は朝食を済ませ、身支度をした。
三郎は、"テレポート"で帰ってくる時のために、ツリーハウスの床に魔法陣を描き直した。
トランクを持っていくかどうかで少し悩んだが、かさばるので置いて行くことにした。
代わりに、トランクにもチョークで印をつけた。
数分間だけ所持品を手元に引き寄せられる効果を持つ、時空魔術"アポート"を使うための前準備である。
すべての準備が終わり、四人は集まった。

「僕の記憶を元にするより、間近で接した貴方の方が適しているでしょう」
三郎はそう言うと、手を伸ばしてオロカの額に軽く触れた。
「シモーヌさんの姿を、イメージしてください」
オロカは目を閉じて、シモーヌの姿を脳裏に思い描いた。
まっすぐな眼差しを。真紅のつややかな髪を。しなやかで躍動的な体を。
「……よろしいですか」
三郎は呪文を唱え、指先を離すと、空中に大きく輪を描いた。
宙に浮かぶ水面のように、ゆらゆらと空間が揺れた。
「成功したようです。この術も覚えたてでしたので、少々不安でしたが。……どうぞ」
オロカは頷き、首の鎖をぎゅっと握りしめた。
それから勢いよく、揺れる空間に飛び込んで行った。

 

2.

オロカは、ゆらゆらと揺れる空間を突き抜けた。
目の前に、驚きで大きく目を見開いたシモーヌが立っていた。
その背後には、木や噴水、ブランコなどが見えた。
「あ……」
公園か? 無難な場所に出て良かった、火の海とかじゃなくて。
そう考えながら、オロカはシモーヌに声をかけようとした。
しかし、足元のグニュッという嫌な感触に視線を落とした。
「う、わッ……!? なんだこりゃッ!!」
見渡す限り一面に、ぎょろっと傘に一ツ目を開いた、水色のキノコが生えていた。
「ひィ……ッ!!」
「うひゃぁ、キモッ!」
背後で、三郎と暗示郎の悲鳴があがった。
続いて、ビリビリッと何かが破れる音と共に、どうっと倒れる音がして、オロカは振り返った。
裸の──大人のドグマが、目玉キノコに半ば埋もれるように倒れていた。
「ドグマ! ど、どうしたッ!?」
「術が、解けた……? ま、またかッ……か……体が……おのれ……ッ!」
ドグマは若い頃、危険な儀式の制御に失敗し暴走させてしまったために、神経系の重い障害を負っている。
肉体年齢を下げる術が解けたのみならず、その神経作用を補っている術までもが解けていた。
ドグマは、自分の頭を持ち上げる事さえもままならなかった。

ずぶっ……
ドグマ、三郎、暗示郎──三人の体が、キノコの合間に沈んだ。
ドグマはとっさに震える指をぎこちなく動かして、呪文を唱えようとした。
だが、言葉が魔力を引き出す気配を感じなかった。
「なに……手応えがない……ッ!?」
三郎は魔法のサンダルの力を使って、空に駆け上がろうとした。
だが、魔力が発揮されず、いたずらに足踏みをしただけに終わった。
「サ、サンダルが……ッ!?」
元からこのような時に役立つ手段を持たない暗示郎は、悲鳴をあげて助けを求めた。
「きゃあぁッ!? オロカ、助けてぇッ!!」
「え、あッ!!」
オロカは混乱しながらも、自分へ伸ばされた暗示郎の手をつかもうとした。
突然、彼にシモーヌが体当たりをかました。
不意をくらって、オロカは転倒した。
「うあッ!?」
「やめな! おまえまで引っ張り込まれる!」
ぶちゅぶちゅっという背中の感触に顔をしかめながら、オロカは身を起こした。
ドグマら三人の姿は既に無く、ゆらゆらと目玉キノコが揺れているだけだった。
「ドグマ! 三郎! 暗示郎ッ!」
 
 
 
三郎は意識を取り戻し、目を開いた。
「うあぁッ!」
天井にはびっしりと、目玉キノコが生えていた。
三郎は目を背けようとしたが、壁も、床も、目玉キノコで覆われており、どこにも逃げ場がなかった。
「ぁ……うぅ……」
ぬめる感触を覚えて、震えながら自分の体を見た。
コートにも、ズボンにも、袖や裾から覗く手足にも、ぞろりと目玉キノコが生えていた。
「ぎあぁぁぁぁッ!」
三郎は絶叫をあげて、体の目玉キノコをむしり取った。
むしる端から次々と、新しい目玉キノコが生えてきた。
「あぁぁぁぁぁッ!」
冷静さが三郎の頭からすっ飛んで、彼は叫びながら目玉キノコをむしり続けた。

三郎の叫び声に、ドグマと暗示郎もまた、目を覚ました。
ドグマは力を振り絞って頭を上げ、状況を把握した。
「やめろ、三郎! そのキノコ、微量ながらおまえの魔力を吸い取って再生しているぞ!
そんな事を続ければ、いずれ魔力が枯れる! 放っておけ!」
「ひィィィィッ!」
しかし、ドグマの声が三郎の耳に届いている様子はなかった。
「暗示郎、やめさせろ!」
「あ、うん!」
暗示郎は、自分やドグマの体に生えている目玉キノコを、気味悪く思いながら眺めていた。
が、ドグマの指示に、弾かれたように腰を上げた。
「やめて、三郎!」
暗示郎は、三郎の両手首をつかんだ。
いつもは細い三郎の目が、くわっと大きく見開かれていた。
正気じゃない……?
暗示郎は、暴れる三郎の手首を必死で押さえた。
 
 
 
「どうして、俺だけ……?」
オロカはぺたんと腰を落としたまま、呆然と呟いた。
「そりゃあ、おまえが魔術師じゃないからだろ」
「魔術師……?」
オロカは、シモーヌの言葉をおうむ返しにした。
「この『マルセル団地』は、マルセル以外の魔術師の存在を許さねェんだよ。
力があるところに乱があるって、奴の理屈さ」
「『マルセル団地』……」
オロカは、視線を上げた。
彼らの居る公園を挟むようにして、大きく白い、平坦な建物がそそり立っていた。
どこか、圧迫感を覚える光景だった。

「ところで……おまえ、何しに来たんだよ?」
呆然としたまま、オロカはシモーヌの問いに答えた。
「おまえを……助けたかったんだ」
「ハァッ!?」
シモーヌは、黒いレザースーツに包まれた胸元に触れた。
「私は一言だって、そんなこたァ頼んでないだろッ!?」
「そう……だ……俺が勝手に、そうしたかっただけだ……
でも……こんな事に、なるなんて……考えが、甘かった。
やっぱり……せめて、俺だけで来るべきだった……そうすりゃ、ドグマ達を……」
「あに、ゴチャゴチャ言ってんだッ!」
シモーヌは、オロカの胸倉をつかんだ。
燃えるような瞳が眼前にぐっと近づき、オロカの心臓はどきりと跳ね上がった。
「後悔してる、場合か! それが、助けるだの何だの、ゴタイソーな事を考えた奴の言う事か!
ここは確かに、入ったら抜け出せない蟻地獄だけどな!
逆らって、逆らって、逆らうんだ! 無駄でもいいから、逆らうんだ! いいなッ!」
「……」
美しい、瞳だ。
オロカは徐々に落ちつきを取り戻しながら、そう思った。

 

 

3.

「そっ、そだ、三郎! 怖いなら、見なきゃいいんだよ、見なきゃ!」
暗示郎は、三郎の帽子をずり下げて、顔面に押し付けた。
しばらくして、やっと三郎は暴れるのをやめた。
しかしまだ、両腕を回して自分の体を抱き、痙攣するようにがくがくと激しく震えていた。
「三郎ぉ……大丈夫だよ、とりあえずはさー……」
暗示郎は三郎を抱きしめ、"平心"の呪文を唱えた。
が、全く術が発動する気配が無かった。
「何なんだろう、ドグマ?」
「空間全体から抑圧的な魔力を感じる。おそらく、魔封じの結界だろう」
「魔封じ?」
「文字通り、術の発動や魔具に備わる力を妨害する結界だ。
おそらくは、マルセルが使う術、およびマルセルの所持する魔具以外を、であろうが」
ドグマは横たわったまま指を鳴らす仕草をし(音はうまく鳴らなかったが)、"発火"の術が発動しないのを確かめた。
「マホトーン自動でかかるだけじゃなく、アイテムも使用不可なんだ。
しかも敵は魔法使ってくるって、キビしいダンジョンだなー。クソゲー認定されそ」
「ドラクエと一緒にするな」
「ドグマも知ってんの!? ドラクエってモスタリアでもメジャーなんだねぇ……」
「しかし……何故、マルセルにこれほど強力な結界を……」
……時間と手間をかけた大がかりな準備は、こちらには無い。
火属性の私が、水属性のステージ内に居るという不利もある。
しかし、私より実力の劣るマルセルが、ここまで完全に私を抑え込めるとは信じがたいのだが。
"影"が用いたような、力の強さはそのままに対象や性質だけ捻じ曲げるといった、特殊すぎる結界はともかく。
魔封じの結界は、封じるか封じられるか、どちらが強いかの真っ向勝負ではないか……

フッと鉄格子の向こうに、学校の制服を思わせる格好をしたマルセルが現れた。
「ごきげんよう……キャア!」
マルセルは小さく悲鳴をあげて、横を向いた。
「ドッ、ドグマ! 貴方、どうして裸でいるのよ! いやらしいわね!」
「誰が、いやらしいか。仕方なかろうが。私は、『最果て』特有の病を患っているのだ。
癒えるまでには時を要するので、対症療法的に子供の成りをしていたのだ」
「そっ、そう……後で、服を届けさせるわ。サイズは、XLでいい?」
「うむ……」
「あっ、 僕も僕もー。僕と三郎にも、着替えちょうだーい」
「はいはい、わかったわ」
……何だ、この呑気な会話は。囚われた者と捕らえた者が、まず話す事ではないな。
ドグマは、小さく顔をしかめた。

「マルセル。何故、貴様が私の魔力を封じる事ができる?」
ドグマは、先程の疑問をぶつけた。
マルセルは、ぷるぷると首を横に振ってみせた。
「私じゃないわ。母様の力よ。『最果て』をさまよっていたら、母様もここに落ちているのを見つけたの。
だから、その上に新しいステージを築いたの。
『時空の狭間』よりも『最果て』の方が、母様の力は大きく働くみたいね。
もっとも、結界内に収めるためには、ステージは前よりかなり小さくせざるを得ないのだけど」
「大きさを捨てて、安全性をとったのか」
「えぇ、その通りよ。前の反省を生かして、セキュリティは万全にね」
皮肉を込めてドグマは言ったが、マルセルは褒められたかのように微笑んだ。
「それじゃ三人とも、大人しくしていてね。変な事したらすぐ、目玉キノコが教えてくれるんだから、無駄よ。
心配しなくても、無意味な拷問をしたりはしないわ」
「三郎には、十分拷問になってるんだけどー……」
暗示郎の言葉を無視して、マルセルは消え失せた。
 
 
 
三郎がなんとか大人しくはなり、ひとまずは牢の中に静けさが戻った。
ドグマの方はさほど問題ないとみて、暗示郎は再び三郎の世話を焼き始めた。
しかし、ドグマの精神状態も決して良くはなかった──否、最悪だった。
実のところ体の自由がきかないからじっとしているだけで、仮にそうでなかったなら。
髪の毛を残らず引き抜いてしまったり、体中をかきむしって血だらけになったりと、むしろ三郎よりもストレートな自傷行為をしていたかもしれなかった。
身動きできずに、出られるあても無い狭い牢の中で転がっているというのは、彼にとってそれほど耐え難い苦痛だった。

じわじわと、ドグマの心を絶望の闇が侵食していった。
……人智を超えた力によって、魔力は完全に封じられた……体の自由もきかぬ……
まるで牙を抜かれ、鎖に繋がれた狼……そして……あの時のようだ……
思い出されたのは、父の命で放り出された、モスタリアの暗い路上──
魔力は枯れ果て、体はボロボロでリハビリも不十分、ほとんど身動きできなかった。
ただただ無力感にさいなまれて、転がっていた。
頬に伝わる石畳の冷たさまで、まざまざと蘇った。
……もはや、どうにもならぬ……これまでか……

ドグマは、横たわったまま首をゆっくりと動かして、周囲を見渡した。
目玉キノコの合間に、光るものが落ちていた。
前にここに落とされた者の持ち物であろうか、それはカミソリであった。
刃に少し、黒っぽいものが付着していた。錆のようにも──そして、血痕のようにも見えた。
ドグマはそれに、心が引き寄せられた。
萎えた腕に力を込めて、目玉キノコの上を滑らせていった。
潰れた目玉キノコが、ぶちゅぶちゅと肌に嫌な感触を伝えた。
指先が、カミソリに届いた。それをたぐりよせ、握ろうとした。
しかし、指にうまく力が入らず、カミソリが床にこぼれ落ちた。
……は……は、はは……情けない……自力では、死ぬ事も叶わんか……
ドグマは、声に出さずに自らを嘲笑った。

……そういえば、モスタリアでは占いの真似事をやって生計を立てていたが……
タロットカードが上手くめくれず、客にやらせていたのだったな……
今にして思えば、よくあれで生き延びたもの……
……そうだ……そうだった……
モスタリアの路上が、再び思い出された。
 
 
 
砂漠の国モスタリアは、ドームの外ほどではないものの、夜は昼間とうってかわってかなり冷え込む。
冷たい路上に放り出されたドグマは薄い室内着のままで、布団どころか、ちゃんとした上着すら身につけていなかった。
徐々に寒さに体力を奪われ、消耗していった。
ようやく日が登った頃には、彼の意識は朦朧としていた。

「……若様! ありゃあ、若様じゃないか!」
「ほんとだ! なんでこんなところに!」
通りがかったのは、野菜を荷車に積み、市場へ向かう途中の老夫婦だった。
ドグマはたくましい若者で覇気があり、その上幼い頃からお忍びで下町にも姿を見せていたので、下層階級民の人気は高かった。
この老夫婦も、ドグマの顔を見知っていたのが幸いだった。
「まぁ、こんなに冷え切って……」
「お気の毒に……」
老夫婦は、動けぬドグマの体に触れて言った。
「構うな……殺せ……」
うわごとのようにドグマが言うと、老夫婦は血相を変えた。
「何をおっしゃいますか! わしらに少しでも、力にならせてくだせぇ!」
老夫婦はドグマを荷車に乗せ、家に連れ帰って介抱した。

その後、ドグマの世話を主にしたのは、老夫婦の息子であるシャールという青年だった。
彼は生来片足が不自由だったので、あまり外に出ず、家の中で内職などをして暮らしていた。
両親から「相当気落ちしているようだから、傍に居て力になってやるように」と言われて、シャールは頷いた。
そして、熱を出して寝ているドグマに近づいた。

「若様、俺に何でも言ってくれ。何でもしてやるよ」
杖をついて佇んでいる人の良さそうな青年を、ドグマは小さく鼻で笑った。
「おまえにできる事など、何もない」
「そんな事、ない」
「なら……私を、殺してくれ」
「……」
「それみたことか、できんだろう」
言葉に詰まったシャールに、ドグマは半分自嘲の嘲笑を投げかけた。
「……どうすれば、死ななくてすむ?」
「せめて魔力だけでも戻れば、な……この体も、なんとかできるかもしれない……
かといって、私と同じ属性の親族は居ないので、魔力を譲ってもらう事もできん……
血統的に私の一族では珍しいのでな、火属性は……せめて、魔翠玉があれば……」
「じゃあ、どんな石か知らないけど、俺が盗ってきてやるよ」
「……はっ」
あまりにも簡単に言うので、ドグマは吹き出した。
「わ、笑うない……」
「お笑いぐさにしかならぬ。魔翠玉とは、すなわち玉璽の事だぞ? おまえに、できるはずがない」
「……いつか、いつかは必ず……」

シャールは、一日に一度は玉璽を盗む作戦らしきものを立ててきた。
あまりに稚拙すぎる案の数々を、ドグマはことごとく却下した。
が、実現不可能とは思われるものの、どこから出てきた発想かと思わせる突飛な案も多々あり、なかなか楽しかった。
無知なシャールをからかっているうちに、やがて死を望んでいた事も忘れた。
そして代わりに、いつか父に復讐してやるという暗い炎が、胸の内で燃え始めた。
その炎が、前を向き、動かぬ足を踏み出させる活力をかき立てた。

献身的なシャールの手助けもあって、ドグマは毎日、地道にリハビリを重ねた。
無論、専門的な器具など無い上、以前受けていたリハビリの見様見真似でしかなかったが。
それでもいくらか成果が出て、椅子に腰掛けさせてもらえば少しは手作業ができる程度まで回復すると、ドグマは先行きの事を考えた。
……どんな手で父に復讐するにせよ──手っ取り早いのは、プロを雇って玉璽を盗ませる事だが──金がかかる。
金が欲しい……が、そんな事までシャールらに頼るわけにはゆかぬ。
どれほど手間暇をかけても、自分で稼がねば……
作曲家で身を立てられるぐらいに、音楽の知識には自信があるつもりだが……コネと時間、そして元手が必要だ。
その前段階として、一市井人の身で稼ぐには……吟遊詩人にでもなるか?
しかし、吟遊詩人は楽器を弾きながらの歌い語りが主流だ。
歌はともかく演奏は、まだそこまでできるほど手が動かない……
それに、こんな体を公共の場に晒すだけでも嫌なのに、更に人目をひく事をするのは、できれば避けたい……

「とりあえず、自力で食えるようにはならねばな。
座りっぱなしで、あまり動かずできる仕事というと、なかなか無いが……占いの店でも、出してみるか」
いろいろ考えた末、そうドグマが言うと、シャールは一も二もなく賛同した。
「そりゃあいいな」
シャールは、すぐに内職で稼いだ金で、一揃いのタロットカードを買ってきた。
ドグマはテーブルに向かい、ぎこちない動作でカードを混ぜた。
前のめりになると体重に引っ張られて倒れそうになり、何度もテーブルに肘をついて身を起こし直した。
ようやくそれを終えると、震える指先でカードをいじり始めたが、すぐにイライラとしてそれを投げ捨てた。
「どうした、若様?」
「……カードが上手くめくれん……駄目だ、こんなにもたもたとしていたら、客が帰ってしまう……」
カードをひっくり返し、決められた場所に配置するには、意外と精密な動作を要した。
できないとは言わないが、スムーズにそれを行うのは、体が不自由なドグマには難しかった。
「どうやってやるんだ?」
「それをここに……次にそれを……」
「えっと……」
右往左往しながらも、シャールは指示通りにカードをめくり、配置した。
「結構、面倒くさいものなんだな……でも、これで良くないか?」
「……何?」
「自分でめくれないなら、客にめくらせればいい。
体が動かない占い師というのも、それはそれで神秘的かもしれないし」
「そんなものか……?」
ドグマは、半信半疑であった。
が、シャールの予想通り、占いの店はそこそこ繁盛する事となった。
そうでなかったら──人目につかない家の中で、ただ寝ているだけであれば──
後に、魔翠玉を携えた三郎の訪問を受ける事は、叶わなかったかもしれない。
 
 
 
……そうだ。私は人の情けに救われて生き延びたのだったな。
私がエイリアスとなってからは会う機会が失せたが、奴はその後どうしたのだろう……
懐かしいシャールの顔が、思い浮かんだ。
大人しくはあった。髪も長くなかった。が、容貌は今のオロカに少し似ていた。
……オロカ一人で、どうかなる状況とも思えん。が……もう少しだけ、待ってやろう……
ドグマは、カミソリから静かに手を離した。

 

4.

「……」
オロカは立ち上がり、目玉キノコの上に転がっていた、爆撃機の玩具と指揮棒を拾い上げた。
「……わかった」
爆撃機の玩具をぎゅっと抱きしめてシモーヌに頷いてみせると、彼女はくるっと背を向けた。
「よぅし! じゃあ、とりあえずメシ、メシ!」
「お、おぅ」
朝食は済ませてきたのだが、一人で居たくもなかった。
オロカは、建物の入り口へ歩いて行くシモーヌの後を追った。
ふと、ベルトで吊り下げられ、シモーヌの尻の上で揺れている銃に目が止まった。
「それ、何だ?」
「知らねェのか。サブマシンガンだよ。飛び道具だよ」
「魔術は禁止なのに、武器はいいのか?」
「弾は抜かれちまったさ。こいつぐらいはマルセルにとっちゃ、力のうちに入らないんだろうけど」
シモーヌはそう言って、腰に差したナイフの鞘を指で叩いた。
「弾って、弓の矢とか、投石機の石みたいなものか?」
「そうだってば。おまえ、石器時代から来たのかよ」
「いや、そこまで昔じゃないけど……弾が無けりゃ役に立たないだろうに、なんで持ち歩いてるんだ?」
「決まってンだろ!」
くるっと振り向いて、シモーヌは指を一本立てた。
「ファッションだよ!」
「……ゴツい、アクセサリーだな」

ふっと、空中にマルセルが現れた。
彼女は笑顔で、オロカに手を広げて見せた。
「お久しぶりね、オロカ! 歓迎するわ、ようこそ『マルセル団地』へ!」
「あー……うん……」
……別に、ここへ住みに来たわけじゃないけど……
でも、一日二日でどうかなる状況とも思えないし、部屋を借りられるなら借りた方がいいんだろうか。
そう考えながら、オロカは笑顔を浮かべるマルセルに頷いてみせた。
「これが、毎日のスケジュールよ」
マルセルは小脇に抱えていたファイルからプリントを出して、オロカに渡した。
「ん……六時に起床? 早いな……その後、ラジオ体操? ラジオ体操って何だ?」
「コラッ!」
いきなり、読んでいたプリントをシモーヌに取り上げられた。
「こんなモンに、従う必要はねぇー!」
ビリビリビリッと、シモーヌは勢いよくプリントを引き裂いた。
そしてプイッと背中を向けて、ずかずかと行ってしまった。
「まぁ、シモーヌったら。はい、もう一枚」
「はぁ……」
オロカは渡されたプリントを、ひとまず畳んでポケットに入れておいた。
 
 
 
オロカが踏み入った建物の床も、目玉キノコでびっしりと覆われていた。
彼は、手にした刀を少し体で隠すようにしながら、食堂に入った。
近くのテーブルで食事をしている、女性達の声が聞こえてきた。
「A棟301号室の美知子さんの旦那さん、B棟208号室のアリサさんと浮気してるんですって!」
「まーっ、酷い! 美知子さんは、妊娠してるっていうのに!」
「まったくだわ! 女の敵! 何としてでも、二人に制裁を与えなくっちゃ!」
「そうよ、そうよ!」
……"制裁"って、何だよ。怖ェな。
それに、浮気した男がってのはわかるけど、相手の女も"女の敵"なのか? よくわからんな……
オロカはちらりと目を向け、思わず固まった。
女性達が喋りながら食べているのは、目玉キノコのクリーム煮だった。
「マッ、マルセル! おまえ、なんつぅ物を食わせてるんだよ!」
「あら……」
ふわふわと後ろに着いてきていたマルセルは、おっとりとした口調で言った。
「とっても、体にいいのよ。一日に必要な栄養は、ほとんど目玉キノコだけで摂取できるわ。
特に、ドコサヘキサエン酸やビタミンB1が豊富なの。好き嫌いは、いけないわ。
まぁ、あれだけでは飽きるから、野菜を作ったり家畜を飼ったりもしてるんだけど、メイン食材はあれね」
「ひ、ひぇー……」
女性達は、何を騒いでいるのかしら?という目をちらりとオロカに向けた。
「慣れってものは、怖ろしいなぁ……」

オロカがシモーヌの姿を探すと、食堂の奥にバイキング形式で料理が並べられている辺りに、彼女は居た。
食べる料理を選ぶかと思いきや、突然シモーヌはナイフを抜いた。
そして、新しい料理を運んできた白ずくめの男に飛びかかり、首をかき切った。
「なっ、何するんだ、シモーヌ!?」
マルセルの手下には違いないだろうが、どう見ても非戦闘員だろうに!
オロカは思わず駆け寄ったが、奇妙なものを目の当たりにして足を止めた。
倒れた白ずくめの男の首からは血ではなく、水色のどろりとした液体が流れ出ていた。
「へ……?」
「何するって、決まってンだろ。焼いて食うんだよ」
「き、決まってるって言われても……なんでだ?」
「はいどうぞ、たーんと召し上がれって、敵の手下から差し出された物なんか食えッかよ!
ンな事言われたら、そいつを食ってやる!」
「えー……」

だらだらと水色の液体を流す男を軽々と抱え上げ、外へ出て行くシモーヌを、オロカはぽかんと見送った。
「まったくシモーヌさんは、毎日毎日騒がしいわねぇ」
「ほんと、食事ひとつ平和にできないんだから」
「まぁまぁ、きっと彼女は未だに心の反抗期を抜けていないんだよ」
食事をする人々の声が聞こえてきた。
「もぅ、シモーヌったら、またオイタして。
まぁ、あれはちょっと賢いキノコに過ぎないんだから、どうせすぐ増えるし、いいけど。
……ねーぇ、オロカ……」
マルセルの猫なで声が聞こえて、オロカは振り向いた。
「貴方は本来、決められたルールの中で生きていく方が居心地がいいタイプよね?
ねぇ、シモーヌの更生に協力してくれないかしら?」
「確かに俺は、どっちかと言えばそうかもしれない……が……」
……イライラして良心ロープに当たってたのなんて、まだ可愛かったな。
オロカはそう考えながら、ニッと笑った。
「どうせ従うなら……
おまえのルールじゃなくて、シモーヌのルールに従ってみるのも、面白いかもしれないな?」
「まぁ! シモーヌの天邪鬼にあてられたの? そんな事したって、格好良くなんか、ないんですからね!」
マルセルは腰に手を当て、ぷりぷりと怒った。

「それより……えっと……ドグマ達に、飯を持ってってやりたいんだが……」
口実を見つけて、オロカはマルセルに言ってみた。
「心配しなくても、ちゃんとキノコ人に届けさせるわよ」
「で、でもな……ちゃんと食えてるか、様子ぐらい見せてくれよ。特に三郎なんか、心配だ」
「そういえば、なんだかブルブル震えていたわね」
「やっぱり……あいつ、捕まるって事にはとりわけ繊細みたいだからなぁ……
なぁ、頼むよ。ちょっと話すだけだ。なんにも、しないから」
「しょうがないわねぇ……」
マルセルは不承不承、頷いた。

 

5.

食堂の床にズズズッと穴が空いて、螺旋状のスロープが出来上がった。
「さぁ、いらっしゃい」
「あぁ」
ふわふわと、マルセルが先導して行く。
オロカはブチブチと車輪で目玉キノコを潰しながら、料理を乗せたワゴンを押して行った。

「はい、暗示郎。これ、ドグマに着せてあげて。こっちが、貴方と三郎のよ」
マルセルは鉄格子の隙間から、畳んだ服を入れた二つの紙袋を差し入れた。
「病人に着せる服って、普通もっとゆったりした物を選ばない?」
紙袋から出てきたのは、やり手のビジネスマンが着そうな、ダークグレーのスーツだった。
「だって、これが一番似合いそうだと思ったんだもの」
「構わん、暗示郎。キノコ汁で汚れそうだがな」
「はいはーい。あっ、オロカー!」
暗示郎は、ワゴンを押してきたオロカに手を振った。
「元気そうで良かった。こっちは……やっぱり元気じゃないな」
オロカは、鉄格子の片隅にしゃがみこんだ。
顔に被せた帽子を鉄格子に押しつけるようにして、ぐったりとした三郎が倒れていた。

「三郎……」
オロカは鉄格子の隙間から手を伸ばして、三郎のキノコが生えた肩に手のひらで触れた。
ブルッ……ブルッ……という、小刻みな震えが手に伝わってきた。
「何か、食べられそうか?」
腹はまだ空いていないだろうと思ったが、口実が口実なので、一応聞いた。
「……」
三郎は、力なく首を横に小さく振った。
「ヨーグルトとかも、あるぞ。おまえ、庭園で良く食ってたろ」
「……」
再び、三郎は首を横に振った。

オロカは、鉄格子の隙間から牢の中を覗き込んだ。
「ひでぇな……どこもかしこも目玉……ベッドのシーツにまで生えてやがる……
しかし、確かに狭苦しくて気持ち悪いけど、どうしてここまで弱っちまうんだ……?」
「これでも、かなり落ちついたんだよー。さっきまで、暴れて凄かったんだからー」
体格のいいドグマを苦心して壁にもたれかからせるように座らせながら、暗示郎が言った。
「暴れた……? 三郎が……?」
クールで気取り屋な三郎がむやみに暴れるとは、オロカには想像しがたかった。
「そういえば、こいつは十代の頃……一時期、視線恐怖症で引きこもっていた事があったな。
当時は、逃避だ、軟弱者だと思っていたものだが……」
「が……?」
言葉を途切れさせたドグマに、オロカは続きを促した。
「……いや、何でもない。その後は、だいぶマシになったはずだが」
……こいつが目が怖いなら、私は手が怖くなってしまった。たいして変わりはしない。
そうである以上、軟弱だ何だと、言う資格は私には無いな。
ドグマはそう思いながら、言葉を継いだ。

「三郎……ごめんな。辛い思いをさせて……」
オロカは鉄格子に頭をつけて、囁きかけた。
「……ぁ」
かすれた小さな声が、三郎の血の気のない唇から漏れた。
「あ……あやまら……で、くださ……
ぼくは……なたに……かってに……いてきた……だけ、です……」
ようやく言葉らしきものが聞けて、オロカはほっとした。
しかし次の瞬間、彼の胸の中に猛烈な怒りが湧いてきた。

「おい、マルセル……」
オロカはのっそりと立ち上がり、マルセルをにらみつけた。
「そもそも、どうして閉じ込めるんだよ!」
「どうしてって……どうせ貴方達の事だから、遊びに来たわけではないでしょう?
何か、不穏な事を考えて来たんでしょう?」
マルセルは、ジト目でオロカを見返した。
「そりゃあ、前科がある以上、否定しても説得力が無いだろうけど……」
……特に、ドグマが当初庭園に火を放とうとしたのって、気に食わないからってだけだったもんな。
オロカはそうは思ったが、再度マルセルにくってかかった。
「侵入されたくないなら、何かされたくないなら、追い出せばいいだろ!
それでいいだろ! なんで、わざわざ閉じ込める!」
「嫌よ。だって、侵入する手段がある以上、何度追い出しても来るでしょう?
捕まえられたのは、運が良かったのよ。
地下の方が魔封じの結界がより強く働くけど、地上では完全ではないもの。
ドグマなら、たぶん五、六回に一度……
ひょっとしたら三、四回に一度くらいは、発動成功するかもしれないわ」
「だったら、三郎と暗示郎は放り出せよ!
最低でも、せめて牢から出せよ! 上でだって、術が使えないんだろ!」
「そうは言ったって……」
「この様子じゃ、そう長くは持つもんか! おまえ、また三郎を殺す気か!」
「そんな……」
マルセルは、言葉を失って黙り込んだ。

「……翼をもがれた鳥に、何ができる……?
御自慢のセキュリティは、そんな無力なものに揺るがされるほど御粗末なのか……?」
やりとりを見守っていたドグマが、ゆっくりと口を開いた。
「あー、あれだ。映画とかでよく言う、『人質は複数居た方が使いやすい』ってやつ?」
暗示郎も、ドグマに着せたYシャツのボタンをはめながら言った。
「だったら僕は残るから、三郎は出してあげてよ。
どっちみち、ドグマ一人じゃアレにだって座れなさそうだもんね」
暗示郎は、ついっと牢の隅にある洋式便器を指差した。
「嫌な事を、言うな……」

「……」
マルセルは、腕を組んでトントンと、指で肘を叩いていた。
やがて、フーッと溜め息をついた。
「わかったわよ……私だって、殺したいとまでは思ってないのよ……
その代わり、牢から出すのは三郎だけよ。後で、なんだかんだ言ってこないでよ?」
オロカは、ほっと息をついた。
「ありがとう、マルセル……」
 
 
 
オロカは三郎に肩を貸して、スロープを上がっていった。
三郎が目を閉じたまま、腹のあたりをさすっているのに気づき、声をかけた。
「吐き気がするのか?」
「……」
三郎は、こっくりと頷いた。
「無理しなくていい、ゆっくりで……」
スロープから出ると、食堂の野次馬じみた視線を避け、オロカは三郎を外に連れ出した。

「三郎……上を見てみろ」
オロカに促され、三郎は上を向いた。そして、おそるおそる目を開けた。
建物と建物に挟まれた、狭い空間。
しかし、底抜けの青い空が、まぶしかった。
「……翼をもがれた鳥に何ができる、と言えばそのとおりですが……
弱いからこそ逃げられる、とは皮肉な事ですね……」
「おまえは、弱くなんかない」
「弱いですよ……」

ふわり、と青い空にマルセルの姿が割り込んだ。
「三郎。体調が良くなってからでいいから、公園の木や花壇の手入れ、お願いね」
「構いませんが……トランクを置いてきたので、鋏ぐらいしか道具を持っていないのですけど……」
「脚立とか、簡単な物ならあるわ。他に必要なものがあれば、魔術で作るから」
「はい……承りました……」

「部屋は、別がいいの? 一緒でいいの?」
マルセルに問われ、オロカはベンチにへたりこんだ三郎を見やった。
「一緒でいいよな、三郎?」
何もできる事は思いつかないが、せめてオロカは未だ弱々しい三郎のそばになるべく居てやりたかった。
「え……えぇ……」
三郎もまた、それを拒絶する事はなかった。
「そう。じゃあこれ、部屋の鍵。ひととおりの物は、入れておくわね」
「ありがとう」
二つ鍵がついたペンギンのキーホルダーを、オロカは受け取った。

 

6.

聞こえるか聞こえぬかという声量で、ドグマが口を開いた。
「弱々しく振るまうというのも、それはそれで難しいな……」
「え? 何か考えがあったの?」
ドグマの首にネクタイを締めてやりながら、暗示郎も声をひそめて尋ねた。
「さて……具体的な方法はさておき、私ならこの状況で試すというものはあるが……
三郎が、私と同じ事を考えるかどうかは、わからん。
オロカは例によって、何も考えとらんだろうし。
一応、有効な情報を引き出してくれたという自覚もあるまいな……」
「情報……?」
 
 
 
消え去ったマルセルと入れ替わりに、つかつかとシモーヌがオロカと三郎の元にやってきた。
「あれ? そいつ……」
「あぁ、三郎だけだけど、出してもらった」
「一人だけなら、なんでそんな軟弱そうな奴、選んだんだ?」
シモーヌの言葉に、三郎は自嘲的な微笑を浮かべた。
「……そりゃあ……動けなかったとはいえ、兄上の方が強そうに見えたでしょうけどねぇ……」
「へえっ、あのデケェのの弟? 似てねェな」
「良く、言われます……」
「シモーヌ」
じっと、オロカはシモーヌを見据えた。
「三郎は、軟弱じゃない。ちょっとばかり、打たれ弱いところがあるだけだ」
「……ハッ!」
目を輝かせ、ぽんっとシモーヌはオロカの胸を叩いた。
「おまえ。人の事だと、ちょっといい目をするじゃん」
「そっ……そうか?」
笑うと、可愛いな。
オロカはそう思いながら、赤くなった。
ちらっとシモーヌは、オロカの持っているキーホルダーの番号を見た。
「Bの409……隣の部屋か。またな!」
「あ、あぁ……」
 
 
 
適当に時間をおいてから、二人は部屋を見に行った。
階段を上る途中、妙に疲労を感じた三郎は、踊り場にしゃがみこんでぶつぶつと言った。
「キーホルダーがペンギンというあたりが……
まるで、飛べない鳥になった僕を、象徴しているかのようですね……」
オロカは、思わず吹き出しそうになったのを危うくこらえた。
……キーホルダーひとつで、そんな……
笑い事じゃないけど、ちょっと滑稽なほどにネガティブになってんなぁ。
理由を考え、先程三郎から聞いた、魔術や魔具の力が全て働かなくなったという説明に思い当たった。
……丸腰同然になった……特に、一番の武器である機動力を奪われたのが、響いてるんだろうな……
オロカは気の毒に思い、乏しい知識からひねり出して言葉を返した。
「でも、ペンギンって見た事ないけど、水の中を飛ぶ鳥だって聞いたぞ」
「なかなか、洒落た事を言いますね……」
三郎は腰を上げると、重苦しい体を引きずるように四階まで運んだ。

ドアを開けると、床にびっしり生えた目玉キノコが彼らを出迎えた。
一通り部屋を見て回り、オロカは舌打ちした。
「やっぱり、どの部屋の中もキノコか……」
「それでも床だけな分、まだマシですね……」
三郎は帽子とコートとサンダルを脱ぎ散らかして、二つ並んだベッドの壁際の方に倒れこんだ。
「ちょっと、寝ます……すみません」
「あぁ、遠慮すんなよ」
オロカはコートを拾って、ハンガーにかけてやった。
「シモーヌは、反抗して床に寝たりするのかなぁ……」
オロカの独り言が耳に入り、三郎は寝そべったまま問い返した。
「……何です、それ……?」
「いや、何でもない」
 
 
 
翌朝、オロカは大音量で響き渡る音楽と掛け声に飛び起きた。
「なっ、何だ、何だ?」
窓から顔を出すと、向かいの棟のベランダや下の公園で、人々が一斉に体を動かしていた。
「これが、ラジオ体操ってやつか?」
「うるさい……ッ」
寝起きの悪い三郎が、ベッドの上でごろごろと転がっていた。
「……やらねぇ?」
「やりません! 僕はロボットじゃありません!
日本の、温泉とか祭りとか、意外とポンポン裸になるところも嫌いですけど、ラジオ体操も嫌いですッ!」
三郎は耳を塞いで、枕に顔をうずめた。
「う、うーん……」
オロカは音楽を聞いているとうずうずとして、じっとしているのが悪いような気がしてきた。
ベランダに出て、シモーヌに見られないか気にしながら、見よう見まねで手足を動かした。
「よくわからんけど、そう毛嫌いするほどのものかなぁ……」

音楽が終わり、寝室に戻ると、三郎はまだベッドの上でもぞもぞとしていた。
「花火大会も嫌いだし……バレンタインデーも嫌いだし……ホワイトデーに三倍返しとか何とか……」
いつまでも、なに訳のわからない事言ってんだ?
オロカは首を傾げたが、とりあえず声をかけた。
「まだ調子悪いなら、朝飯取ってこようか?」
「すみません……お願いします」
目玉キノコの料理ばかりでないことを祈りながら、オロカは部屋を出た。
 
 
 
朝食を済ませると、オロカは団地のはずれにある畑に出た。
作物の合間に生えている目玉キノコを踏みながら、彼は畑の外に広がる森の方へと歩いていった。
すると、目玉キノコが途切れている場所で、急に見えない壁にぶつかったように進めなくなった。
「やっぱり、出られないのか……」
押したり、体当たりしたり、ひととおり試して諦めると、オロカは鍬を握って畑を耕し始めた。

「あッ!」
ランニングをしていたらしいシモーヌが、声をあげて突進してきた。
「てめぇ、なに飼いならされてンだよ!」
「ち、違う……」
胸倉をつかまれ、慌ててオロカは弁明した。
「何が違うんだッ!」
「だ、だって、家賃も払ってないし……」
「敵に家賃を払う奴がいるかッ!」
「敵にタダで世話になるのも気持ち悪くて、落ち着かないんだよ!」
「そういう考え方もあるか……なら、いい」
シモーヌは、ぱっと手を離した。
「げほ、げほっ」
……行動のひとつひとつに、意味が無いといけないのかなぁ。
嘘はついていないつもりだが、正直ちょっと疲れるな。
咳き込みながら、オロカは思った。
「でも、続きは後にしようかな……一緒に走っていいか?」
「おぅ!」
シモーヌはくるっと背中を向けて、走り出した。
……その格好も、いいな。
オロカは、ホットパンツからすらりと伸びるシモーヌの脚を見ながら走った。

団地の周りを何十周もしてから公園に入り、ようやくシモーヌは足を止めた。
「フーッ、走った走った!」
「おまえ、毎日こんな走ってるのか? すげぇな」
オロカはへとへとに疲れたが、汗をたっぷり流して気持ちが良かった。
シモーヌは噴水の縁に置いてあったペットボトルの蓋を開けると、豪快にあおった。
ぐびぐびと動く喉を見ていると、オロカの目の前にペットボトルが突き出された。
「飲むか?」
「えっ……」
い、いいのかな……
オロカはごくんと唾を飲み込むと、どきどきしながらペットボトルに口をつけた。
少し酸味のあるスポーツドリンクが、喉に染み渡った。

「あ、三郎……」
木のそばに立てた脚立を登っている三郎の姿が目に入り、オロカは小さく呟いた。
突然、三郎は足を滑らせて、大きくバランスを崩した。
「わわッ!」
オロカはペットボトルを投げ捨て、飛び出した。
落ちてきた三郎を受け止め、尻餅をついてドテンッとひっくり返った。
「ぐへっ……だ、大丈夫か?」
「オ、オロカ……?」
「あぁ、細くたって、それだけタッパがありゃあ、それなりに重いわなぁ……
おまえがドグマ受けとめたみたいに格好良くは、できねぇや」
「す、すみません……し、下を見るのが怖くて……」
「あぁ、そりゃ無理もない……」

「ぁ……」
ずかずかと近づいてきたシモーヌを見て、三郎は立ち上がりながら小さく声を漏らした。
「おまえ、なに隠してンだよ」
「は……?」
シモーヌはいきなり三郎が手にしていた剪定鋏を取り上げると、バチンッと彼の長い前髪を切り落とした。
「わぁっ! ちょ……な、何するんですかァ……ッ!」
「うっとおしいんだよ!」
「ひ、ひどい……」
三郎は、ふるふると肩を震わせた。
「もしかして、人に見られるのが嫌で髪、伸ばしてたのか?」
「そ……そうですけど……」
オロカに問われ、久方ぶりに明るくなった視界に戸惑いながら、三郎は答えた。
「まぁ、すぐ伸びるだろ……って……」
慰めようとしたオロカは、まっすぐにそろえられた前髪を見て、言葉を詰まらせた。
「……?」
「おまえ……姫さんみてぇで、可愛い……」
「……」
ふるふるふるふるっと肩を震わせ、三郎は顔を赤らめた。

ぐっと、三郎はシモーヌに両肩をつかまれた。
「な、何です……」
強制的にかがまされ、目の高さを合わされた三郎は、慌てて顔を背けた。
「見ろ!」
「あ、あの……」
がしっと顔をつかまれて固定され、三郎は意味もなくわたわたと手を動かした。
「見られて怖いなら、見返せ! にらみ返せ!」
「そ、そんな事を言われましても……」
「お、おい、シモーヌ……そんな無理に……」
「おまえは黙ってろ! できるまで、離してやらねぇ!」
「うー……」
三郎は観念して、いったん目をつぶった。
深呼吸をゆっくりと繰り返してから、そろそろとまぶたを開けた。
そらしたくなるのを我慢して、シモーヌの大きな瞳を見つめた。

「よし……じゃあ、次!」
シモーヌは手を離し、親指を下に向けてぐいっと地面を示した。
「下品ですよ、その仕草は……」
「うるせぇ! さっさと見ろ!」
「わ……わかり、ましたよ……吐いても、知りませんよ……」
「吐きたきゃ、吐け!」
「ぅ……」
空を見上げて気を落ち着かせてから、三郎はおそるおそる視線を下げた。
地面を埋めつくす無数の目玉と目が合い、ぞわぞわぞわっと背筋が凍りついた。
「……はぁっ……はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
……怖い……怖いのに、目を背けられない……
かたかたと歯がなり、がちがちにこわばった体が震えた。
長いのか短いのかわからない時がすぎ、ポンッと肩が叩かれた。
「よし!」
「……っ」
糸が切れた操り人形のように、三郎はがくがくとへたりこんだ。
尻の下で、ぶちゅぶちゅと目玉キノコが潰れる嫌な感触がした。
「ちゃんと、見れるじゃねェか」
「……」
……違うんです……体が動かなかっただけなんです……
三郎はそう思ったが、もう一度やれと言われるのが嫌で、口には出せなかった。
逃げ帰って、目玉キノコの無いベッドの中に飛び込みたかった。
が、腰が抜けて足に力が入らなかった。
……こ……怖い……怖い……立ち上がれない……助けて、兄上……ッ……
三郎は、思わず心の中で助けを求めた。

「そ……そういえば……兄上が、この下に居るんですよね……」
「今更、何言って……あ……何か、思いついたのか?」
オロカが問うと、三郎はこくりと頷いた。
「ただ……いくつか問題が……もっとも大きなものは、やはりこの結界ですが……
確か、兄上の場合、五、六回に一度の成功率だと……
では、僕の場合は……? 十回に一度かもしれないし、百回に一度かもしれません……」
「あぁン……?」
不思議そうに、シモーヌが首を捻った。
「なんだか知らねェけど、やりゃあいいじゃねェか。
百回に一度ってことは、百回やりゃあ成功すんだろ……?」
「はぁ……」
三郎は、シモーヌを見上げた。
「単純ですが、真理ですね……」

 

 

7.

若き日のドグマは、鍛錬場の壁にずらりとかけられた、古今東西の武器を眺めた。
彼は、方天画戟と呼ばれる古代中国の武器を選び、手にとった。
ずしりと手に重みを伝える長柄の武器を、ぐっと一歩踏み込みざまに振るった。
ブオンッと風を切り、自分を中心に方天画戟の切っ先が風車のように回転した。
切り裂いた空間に、ウォォォーッと雄叫びをあげ、赤茶けた大地を駆ける兵士の群れを思い描いた。
「これを使うなら、赤兎馬が欲しいな……」
呟いて、幾度も方天画戟を振り回した。
鍛え抜かれた己の筋肉が、躍動するのを感じた。
「我が名は呂布、字は奉先! 雑魚ども、命が惜しくなくば束になってかかってこい!」
びしりと振り抜いた方天画戟を宙で止め、見栄を切った。

「邪魔するよ」
背後から声をかけられて、ドグマは楽しい妄想を妨害されたと、チッと舌打ちした。
「久しぶり、ドグマ」
「イエソドか。何の用だ」
ドグマは、振り返らずに言った。
「ん……ウィロー(当時の三郎の名)が、引きこもってると聞いたんだがね」
「だったらどうした」
「どうしたって……冷たいねぇ。
子供の頃はもっと、君も不器用なりにウィローを構ってたのに」

不器用──
ちらりと、ドグマは少年の頃の自分をかえりみた。
……昔の私には、繊細すぎる弟の扱いがわからなかった。
自分の後を素直についてくる子分が欲しくて、何かにつけて誘い出そうと試みた。
やれ、一緒に武術訓練をしよう──
やれ、下町へ忍びこんで探検に行こう──
やれ、手下を集めて戦争ゴッコをしようと──
いや……あるいは私はもっと単純に、日々のささやかな感動を分かち合う相手を欲していたのかもしれない。
極端な話、「すげぇな、おい!」「あぁ、すげぇ!」というぐらいの単純極まる言葉を交わせれば、それだけで……
しかし、全く趣味の合わない弟は「興味ありません」の一言で、それらの交流をすげなく断った。
母親が違うとはいえ、普通、男兄弟ならさほど言葉を交わさずとも、キャッチボールのひとつもすれば仲良くなれるだろうに……
そんな事を考えながら、一人延々と壁に向かってボールを投げていたりもした。
……女々しい。全く、女々しい……
結局、私は求める相手を間違えていたのだ。
子分なら、別に弟でなくとも!

「子供の頃は、子供の頃だ。私は、あいつが嫌いだ!」
くるりと振り向き、ドンッと、ドグマは方天画戟の柄頭を床に叩きつけた。
「どうしてさ?」
「ふんッ……才能があるくせに努力もせず……
やりもしない事もやりさえすればできるんだという風情で、人を見下す卑劣漢が!」
「魔術の習得過程なんて、人それぞれだろう? そんなの、どうだっていいじゃないか」
「良くない! 真面目に努力するのが馬鹿をみる!」
「君の努力は、評価に値して余りあるがねぇ……」
イエソドは、一部の隙もなくひきしまった、ドグマの若い肉体を眺めた。

「ウィローの引きこもりで、交換日記も中断中かい?」
「交換日記ではない! 読書感想ノートだ!」
「たいして、変わらないよ。少なくとも、嫌いな相手とする事じゃないね」
「そもそも、何故貴様がその事を知っている!」
「いやぁ、ウィローにちょっと見せてもらった事があるんだけど。
彼の感想のそっけなさに対して、君の返事が長いったら……」
クックックッと思い出し笑いをするイエソドを、ドグマはむっとしてにらんだ。
読書感想ノート──
それは、ドグマとウィローの間で珍しく、曲がりなりにも噛み合った、ささやかな交流だった。

教育面で厳格であったウィローの母親は、彼に自由な読書をさせなかった。
特に、ウィローが幼い頃夢中になっていた幻想物語の類を嫌って、一切を取り上げた。
ウィローの母親曰く、何の役にも立たない、現実逃避の夢物語であると──
そして彼女が買い与えるのは、あくびの出るような、大人本位の"ためになる"本ばかりであった。
一方ドグマの母親は、いわゆる育児放棄気味であった。
その上、若い愛人を作って逃げた為に夫に処刑されたという、とんでもない女性だった。
しかし生前は、ドグマが求めるままに金銭を与え、何に使ったか気にも留めないという、ある意味では"子供に都合のいい母親"でもあった。
母親の死後、父親はドグマに全く愛情を示さなくなったが、金銭だけは毎月決まった額を渡していた。
つまるところ、ドグマは愛情には飢えていたが、さほど高額でなければ常に何でも買い求められる立場ではあった。

二人がまだ幼い頃、ウィローが母親からの抑圧に耐えかねて、家出をした小事件があった。
ドグマはそれをきっかけに、ウィローが家庭内で置かれている状況を、ある程度は把握した。
その翌日、ドグマは「読め」の一言と共に、ウィローへ本とノートを突きつけた。
ドグマの態度に戸惑いながらも、ウィローは母親に内緒で、こっそりと借りた本を読みふけった。
本当のところ、ウィローは読書は好きでも、読書感想文というものが大の苦手だった。
しかし彼は、感想を書かなければドグマは本を貸してくれないものと解釈した。
そのため、簡単ながらノートに感想を書いて、本と共に返すようになった。
ドグマはウィローと交流を持てた事が嬉しくて、いつも何倍もの返事を書いては、新しい本と共にノートを渡した。
この静かな交流は、五年以上続いていた──この時、途絶えるまでは。

「さておき、今度はなんだ、視線恐怖症か何かだと?
困った事があっても、他人に相談もせず逃げ回ってばかり、全く可愛げのない奴!
閉じこもって、何が解決する! 素直に、人に泣きつけというのだ!」
「……」
イエソドは、ニヤニヤと笑った。
「君……ウィローに、相談して欲しいんだね? 助けを求められたいんだね?」
「だっ……誰もそんな事は言っとらん!」
「君、ウィローが嫌いというより、好きすぎるんじゃないのかい?」
「ンなわけがあるか! 勝手な解釈をするな!」
「ねぇ、ドグマ……」
すっと真顔に戻して、イエソドは言った。
「ドアの外からでも、ウィローに声をかけてみないかい?」
「助けも求められていないのに行く、おせっかいが居るか! 絶対に行かん! 呼ばれるまで行かん!」
「だから、呼ばれたいんだろ、ん?」
「だから、そんな事は言っとらん!」

粘り強くイエソドは言葉を連ねたが、やがて諦めて溜め息をついた。
「ふぅ……強情だなぁ。
しょうがない、とりあえず私だけで行くが、少しでも来る気になったら来ておくれよ」
「ならん!」
イエソドが鍛錬場を立ち去ってから、ドグマは方天画戟を壁のフックに戻した。
外へと出て、イライラした足取りで庭を歩き回った。
そうするうち、いつの間にかウィローの部屋の下に出てしまった。
ドグマは忌々しく思いながら、ぴったりと閉ざされた二階の雨戸を見上げた。
……視線であれが、溶ければ良いのに。
いつまでも、焼けつきそうな目で雨戸をにらみ続けた。
 
 
 
現在のドグマは、ろくに動かぬ体をベッドに横たえ、目玉キノコに覆われた天井をにらんでいた。
「行ってやっても、良かったかな……」
ぼそりと、小さく呟いた。
……今にして思えば、どうして呼ばれるまで行かんなどと、受け身になる必要が……
本当はただ、拒絶されるのが怖かったのではないのか……?
「後悔しても、仕方がない。しかし、今にして思えば、それが『境界線』だったのかもしれぬ……」

……あの糞女……三郎の母は、世間体や後継者争いでの減点を恐れてか、医者にも診せていなかった。
事実を知っているのは極一部だけだったはず。よく、外部の人間であるイエソドが知り得たものだ。
聞いた話では、半ば人攫いのようにイエソドが三郎を連れ出したらしい。
そして、向こうの世界の医者に診せ、病状は快方に向ったのだという。
私はその間、三郎に背を向け続け、一切関わろうとする事はなかった。
しかし、本来はイエソドなどではなく、私が手を出すべきではなかったか。

……それからの私は、三郎を後継者争いのライバルとして、魔術師として、脅威に思うようになった。
魔力や魔力容量では優っていたのに、三郎の術の習得の早さやコントロールの器用さばかりを気にしていた。
馬鹿な話だ。単に、得手不得手が異なっていただけであったのに。
認めたくないが、今ならわかる。
派閥争いに代表される"大人の事情"に煽られ、振り回されていたのだと。
そんな愚をおかした理由は、はっきりしている。
三郎という人間を、十分に理解していなかったせいだ。
もしも当時、奴が後継者争いにおける野心も、魔術師としての向上心も無かった事を──
奴の望みが、好きな植物絡みの仕事でもして、穏やかに暮らす事だと知っていたなら──
私は、リミッター解除などという危険を、焦って冒す事は無かったかもしれない。
いずれは挑む事にせよ、時期があまりにも早すぎた。
努力は怠らなかった。が、未熟であるという自覚すら無かった。
そして、結果的にはそれが引き金となって、私は多くのかけがえの無いものを失った。
不器用でもいい。片思いだとか何とか、イエソドの奴にからかわれてもいい。
幼い頃のように、繋がりを持とうとする事を諦めないでいたなら……
「いや……違う」
ドグマは、後悔の中で見出した。
「確かに、多くを失った。しかし……今からでも取り返す事のできるものは……ある。それは……」
 
 
 
「ふわぁぁー」
暗示郎が隣のベッドで起き上がり、大きく伸びをした。
「おはよー、ドグマ」
「……暇だ」
「そりゃ、やる事ないけど、何も朝っぱらからそんな事……」
暗示郎は、苦笑を浮かべた。
「私は、二時間ばかり前から起きている。
ガキの体だとそうでもないが、この体だと目が覚めるのが早くてな……」
……暇すぎて、余計な事を鬱々と考えすぎてしまった。私らしくもない。
そう思いながら、ドグマは説明した。
「それって、職業病?」
「まぁな」

「それより暗示郎、私の体を動かせ」
「へ?」
「寝たきりだと、筋力が落ちるだろうが」
「……全身?」
「全身だ」
「たいへんだなぁ……」
……せめて、もっと小柄ならいいんだけど。できれば、女の子希望ぉー。
そう考えながら暗示郎がぼやくと、ドグマは言った。
「代わりに後で、特別に私自ら魔術の講義でもしてやろう。
治癒魔術は私には使えんので、多少は使える三郎に任せていたが……
どうせ奴は、術の使い方そのものしか教えず、知識的な事はお留守だろうが?」
「うへぇ……」
……正直、小難しい事なんて知らなくても、術さえ使えればいいんだけどなぁ……
そうは思ったものの、暗示郎は聞いてやった方がドグマの気分的にはいいんだろうと考え直した。
「せんせぇ、優しくお願いしまぁす!」
「心配せずとも、覚えが悪かろうと今は殴れん。得をしたな」
「きゃあ、体罰ダメ、ゼッタイ!」

暗示郎の手を借りて、ドグマは体を動かした。
その間ドグマは、シャールと行ったリハビリの事を思い出していた。

──若様、辛いだろうけど、もうちょっと頑張ろうな──

シャールの励ます声が、耳元で聞こえたような気がした。
シャールは自分も足が不自由だというのに、必死でドグマを支え、歩行訓練の手助けをした。
汗だくで笑うシャールの顔を見ると、ドグマは決して自分からは「今日は、これで終わり」と言い出せなかった。
結局、杖無しで歩けるには至らなかった。
しかし、その後さまざまな困難に直面した時、あの頃の苦労を思えばなんでもない、と感じられたものだった。
 
 
 
一通りの運動が終わると、ドグマの講義が始まった。
「呪文に何故、旋律があるのかは聞いたか?」
「ううん、そういうものなんだと思ってたけど」
「三郎は、そんな基礎中の基礎も教えとらんのか……」
小さく溜め息をついて、ドグマは続けた。

「紀元前、ギリシャの数学者にして哲学者ピタゴラスが音階を発見して以来──」
「ピタゴラスって、『ピタゴラスの定理』のピタゴラス?」
「そうだ」
「ふーん、そうなんだー」
「古代から中世あたりまでの西洋における学問は、今でいえば文系にあたる三科目と、理系にあたる四科目に分かれ、音楽は理系の方に属していた」
「音楽が理系? なんで?」
「西洋音楽は、世界の構成を解き明かそうとする学問が発祥なのだ。
それによると、宇宙の根本原理が『ムジカ』──英語の『ミュージック』。
その調和が『ハルモニア』──英語の『ハーモニー』であるとされていた」
「えっと……根本原理? 調和?」
「簡単に言えば、世界は音楽でできていると考えられていたのだ。
音楽は三段階に別れている。このうち、上二つは耳で聞けるものではない」
「耳で聞けない音楽……?」
「第一の『ムジカ・ムンダーナ』は天空の調和そのもので、星々は素晴らしい音楽を奏でているはずだと考えられた。
第二の『ムジカ・フマーナ』は人間の魂や肉体の調和を表すもので、人間の心身も『ムジカ』の根本原理によって成り立っていると考えられた。
そして、第三の『ムジカ・インストゥルメンターリス』が、楽器や声で成る、今日一般に音楽と言われているものなのだ」
「……」
まずっ、あくびをこらえるのが大変そう……
暗示郎は、早くも安請け合いした事を後悔した。
「ざっくり言うと、世界を楽譜として捉えて、音符を構成し直せば、世界を構成し直せるという考えが西洋音楽のベースであった。
この考えを元に、音楽で世界に干渉し、さまざまな現象を起こそうと試みた者達が居た。
それが、今でいう魔術師の先駆者であった……」
ドグマの講義は、まだ当分終わりそうになかった。

8.

三郎は、目玉キノコが少なく、ある程度の広さがある場所を探して、視線を巡らせた。
差し出されたオロカの手にすがって、よろよろと立ち上がると歩いて行って、噴水の縁に上がった。
ぴょんぴょんと何度か跳ねてみたが、やはり魔法のサンダルは空へと自分を連れて行ってはくれなかった。
三郎は諦めると、円形の縁の上を器用に走り始めた。
「何やってるんだ?」
オロカの問いに、三郎は足を止めずに答えた。
「放っておいてください。風に当たっている方が、考えがまとまるんです」
「そ、そうか……」
三郎は徐々に速度を上げて行き、全速力で走った。
「結構、いい足してンなぁ」
シモーヌが呟き、オロカは三郎が水に落ちないかハラハラしながら答えた。
「あぁ、魔術や魔具を使わなくたって、あれほど速いのはそう居ないと思うな」

……百回に一度の成功率なら、百回やれば成功する……
……それはいいとして、ではどうしたら百回できるでしょうか……
執拗に魔術を使おうとしているところを見られれば、再び牢に落とされる可能性がある。
ならば、可能な限りバレないように使うべきです。
そうだ、マルセルは確か、言っていた。
変な事したらすぐ、目玉キノコが教えてくれる、と──
──つまり、感覚が直結しているのではない。マルセルが直接見張っているのではない。
植物系の魔物は、エントなどの一部の例外を除けば、一般的に知能が低い。
ならば、目を誤魔化して魔術を使う事も、きっと可能です。
具体的には? 最も見咎められやすいのは、魔法陣を描いている時。
なら、どうする? そう、一見して魔法陣に見えなければいいんです!

「あっ……」
縁の外側にずるっと足を滑らせ、三郎は空中に放り出された。
ぶじゅじゅじゅじゅーッと目玉キノコを轢き潰しながら、地面に転がった。
「さっ、三郎! 大丈夫か!?」
「大丈夫です。この程度で、怪我などしません……」
キノコ汁まみれになったのを不快に思いながらも、三郎は仰向けになって空を見上げた。
「兄上は、『三国志』で一番好きなのが曹操で、二番が呂布だと書いてましたっけ……」
「さんごくし?」
まっすぐに腕を伸ばし、三郎は青い空を指差した。そうして、印象的だった曹操の台詞を言い放った。
「たとえ俺が天に背こうとも、天が俺に背くことは許さん!」
 
 
 
三郎は、パチンパチンと公園の木を剪定していた。
ふっと現れたマルセルが、笑顔を浮かべた。
「あら、可愛い。アヒルさんね?」
「えぇ、いいでしょう」
刈り込んだ木を、ポンポンと三郎は叩いた。
「そうね、こういうのもいいわね。じゃあ頑張ってね、カリスマ庭師さん!」

ふわふわと去って行ったマルセルを見送り、三郎は薄く笑った。
「カリスマだとか、買いかぶりです。僕は庭師としても、一流の域には遠く及びません。が……」
……それでも、庭師にして魔術師という半端者だからこそ、できる事はあります。
三郎は、木に、花壇に、巧みに図形を織り込んで行った。
それは、生きた魔法陣だった。
 
 
 
夕方、三郎は作業を中断し、休息を取る事にした。
食堂へ向かうと、オロカが料理を乗せたワゴンを運んでいた。
「兄上達の分ですか?」
「あぁ、そうだけど?」
「僕にやらせてもらえませんか? 兄上と、ちょっと話したい事もありますし」
「大丈夫なのか?」
目玉キノコで埋め尽くされた地下を思い浮かべ、オロカは問うた。
「まぁ……いつでも逃げ出せると思えば、気分的には前より少し楽です。
駄目だったら、代わってください……」
「そうか、無理するなよ。動けなくなったら、大声出して呼べよ」
「はい……」
オロカは三郎にワゴンを譲ると、自分の食事を取りに行った。

壁にも、床にも、天井にも、目玉キノコがびっしり生えたスロープ。
それを目の当たりにして、ぞくりと三郎の背に怖気が走った。
ワゴンに目を落とし、なるべく周囲を見ないようにしながら、三郎はスロープを下りていった。
が、見ないようにすればするほど目玉キノコが目に入ってしまい、足がすくんだ。
思いきって目を閉じると、ゆっくりと歩いて行った。

「やっほー、三郎。顔色、良くなったね」
地下牢の前に差し掛かると、暗示郎が機嫌良く迎えた。
……いや、それはさすがに方便でしょう……
青い顔をしている自覚はあったので、心の中で苦笑を浮かべて、三郎は応じた。
「おかげさまで。すみません……僕だけ、楽をして……」
目を少しだけ開けて、三郎はちらっとベッドの上に横たわっているドグマに視線を走らせた。
「……それにも、意味はあろう?」
ドグマが天井を見つめたまま、静かに言った。
三郎は再び目を閉ざして、小さく頷いた。
……あ、やっぱりこの二人、同じ作戦を考えてるんだ。
きっと、目玉キノコが見てるから、教えてくれないんだね。
暗示郎は、一安心した。

「三郎。ひとつ、ものを尋ねるが」
「はい?」
「シャール、という男を知らぬか?」
「シャール……ですか?」
「私が親父に下層階級へ落とされて、エイリアスと成る前まで、私の世話をしていた男だ。
クーデター成功後、礼金を包んで部下に届けさせたが……
『金が欲しくてやったんじゃない』と突っ返されて……それっきりになってしまった。
足が不自由だったので、時空断層に落ちたとしたら、苦労したであろうが……」
「……」
三郎は、しばらく押し黙った後、口を開いた。
「本当に、知らないのですか? ……お忘れになった、というのではなく……」
「……なに?」
意味ありげな回答に、ドグマは首を横に倒して三郎を見やった。
「何が言いたい! 何を知っている!?」
「……っ」
……しまった、知らないと言っておけば……
こんな状況では、不用意にショックを与えるのは得策ではないでしょうに……
三郎は、口を滑らせた事を後悔した。
「は……話せません、今は……もう少し、その……」
もぞもぞと言葉を濁らせる三郎を見て、ドグマは嫌な予感に駆られた。
「いいから、話せ!」
半ば恫喝するように、ドグマは怒鳴った。
三郎は観念して、小さく溜め息をついた。

「まず……シャールさんに、会った事はあります。
魔翠玉を持って兄上に会いに行った時、居所を探す途中で……
僕が訪問の理由を言うと、喜んではいましたが、少し寂しそうにしていましたね。
『連れて行ってしまうのか?』と言いたいけど言えない、みたいな感じで……」
「そうか……」
「これからどうするのか尋ねると、できれば看護の勉強でもしたいと言っていました」
「……奴らしいな。勉強したいなら、あの金を学費に当ててくれれば良かったものを」
「ですが……彼は、早逝いたしました」
「死、んだ……? 何故だ……?」
「処刑したのは、貴方です……兄上」
「な……に……ッ!」
ドグマは、息を飲んだ。

「そうですか……知らなかったのですか……てっきりそれで、あぁいう夢を見たものとばかり……」
「ゆ、夢……? た、磔刑か! 私が、あいつを磔刑にしたのか! 何故だ!?」
激しい動揺で、ドグマの声は震えた。
三郎はゆっくりと首を振りながら、続きを述べた。
「魔物狩りですよ、兄上……」
「ま、魔物狩りだと!? 馬鹿な、そんなはずがない!
単に魔物と化しただけの者は、投獄したのみ……処刑したのは、国に楯突いた者に限るはずだ!
足の不自由なあいつが、剣を取ったとでも言うのか!」
「えぇ、そうですね……シャールさんは、半分巻き込まれたようなものではないかと推測します。
彼はあるレジスタンスのグループで、怪我人の手当てや、食料の提供などを行っていました。
そこへモスタリア兵が押し寄せて、レジスタンスを捕らえました。
その中には、魔物化しておらず、かつ非戦闘員である彼も混じってしまっていました」
「お、おまえは……! 知っていたのなら、何故その事を言わなかった!」
「申し訳ありません……僕がその事を知ったのは、既に処刑された後でした。
牢番に問いただしたところ、彼はシャールさんの事を覚えていました。
シャールさんは、レジスタンスのメンバーに『エイリアスに名乗り出れば、おまえだけなら解放してくれるのではないか』と、勧められていたそうです」
「なぜ……そうしなかった?」
「シャールさんは、こう言っていたそうです。
『あの人は、人が変わってしまった。もう、俺の知る"若様"じゃない。
きっと、俺の事なんて全く覚えていないに違いない。
覚えていたなら使いを寄こしたりせず、直接会いにきてくれたはずだから。
金なんて欲しくなかった。俺はずっと、顔を見せてくれるのを待っていたのに』……と」
……違う、誤解だ! つい、忙しさにかまけて……あぁ、私自ら足を運ぶべきだった!
ドグマは、強く後悔した。
「それに……」
「それに?」
「『仮に覚えていたとしても、皆が処刑されるのに、俺だけ逃がされるわけにはいかない。
たとえ剣を取れなくても、俺は皆を仲間だと思っているから。
できればだけど、それでちょっとは抗議になれば嬉しいけどな』と、言っていたそうです」
「こ、抗議…… ば、馬鹿な……」
ドグマは、目の前がぐらぐらと揺れる思いがした。
……私がしたのは……あんな温和な男をも、決死の抗議に駆り立てるほどの事だったのか!
し、しかし……そんな抗議があるか! 居ると知らなければ、そもそも抗議にならないだろうが!
せめて、その抗議が耳に届いていれば、少しは魔物への弾圧を考え直したかもしれんだろうに……
これでは、無駄死に同然ではないか! どうにかして、救う手はなかったのか!?

親しい人を自らが殺した。その点では同じでも、師オスカーの場合とはまた別であった。
敵である以上、殺し合うのはやむをえない。オスカーに対しては、そんな割り切りが存在した。
それに、オスカーは軍人に近い立場であった。
軍人が自らの意志で踏みとどまった戦場で戦死した、それに同情するのはむしろ失礼という意識もあった。
しかし、シャールは民間人である。純粋に、恩人であり、友人であった。

「牢番は! その牢番は、なぜ私にその事を伝えなかった!」
「それは……」
三郎は、少し口ごもった後、続けた。
「……兄上の日頃の行いから、そう判断したのだそうです。
『レジスタンスの正式な一員でないとしても、協力者には違いない。
私情に流されて彼だけ解放しては、モスタリア統治者として示しがつかない。
きっとエイリアス様なら、処刑という選択をするはずだ。
ならば、感情と立場との板挟みで苦しませるよりは、黙っておこう』……と」
「……ッ!」
ドグマは、拳をわなわなと震わせた。
私心を一切廃し、人々の期待に応えるべく身を粉にして邁進する、理想の指導者エイリアス──
……今の"私"ならば、シャールを解放したかもしれない。
が、"エイリアス"の言動を客観的に考えると、牢番の判断が間違っていたとは言いきれない。
つまりは"エイリアス"の──いや、他人事ではない、私だ!
私の言動が、シャールを殺したようなものではないか!
「それでも、処刑の際に兄上は立ち会っていらっしゃいましたので、気づく機会はあったはずですが……
大勢のレジスタンスの中に紛れてしまって、彼を見落としたのかもしれませんね。
てっきり……僕ですら、晒された遺体の中から彼を見つけたのですから、兄上が気づかないはずがないと……
知っていて、あえて処刑したのだとばかり、思っていましたが……」
更に三郎の指摘が、ドグマを谷底へ突き落とした。
「わ、私も居た……? き、気づかなかった……見落とした、だ、と……!」
……私は、"反逆者集団"として──"ひとかたまり"でしか、人を見ていなかったのか!
一人一人の顔を見もせずに処刑し、その結果、恩人の命を奪ったのか!
過失で済む問題ではない、重大な怠慢だ!
むざむざとあいつを殺し、そこから戒めを得る機会すら自ら捨てたのだ!

「……兄上」
震えるドグマの声を聞いていると、三郎はもうひとつの事実を告げられなかった。
「その……処刑の際は、もちろん苦しんだ事でしょうが……死に顔は、穏やかでしたよ……」
「……」
それがいったい何の慰めになろう、とドグマは思った。
「……三郎」
「はい」
「故意だと思っていたという事は……それが、私を見限った原因か?」
「……っ」
伏せていた事をずばりと突かれて、三郎は言葉に詰まった。
しかし、もう肯定してしまったようなものと思い直し、頷いてみせた。
「……それだけが、すべてではありません。が……踏み切るきっかけのひとつでは、ありました」
「……そうか。もう、いい……行け!」
「で、ですが、兄上……」
「行けと言ったら、行け!」
「は……はい……」
怒鳴り散らすようなドグマの声に、三郎はビクッと身をすくませた。
三郎は細く目を開け、牢の中から手が届くように、ワゴンを鉄格子のそばへ寄せた。
そしてぎゅっとまぶたを閉じて、そそくさと走り去った。
「……喋りすぎだよ、三郎……」
傍観していた暗示郎は、その背を見送って小さく呟いた。

 

9.

ドグマは横たわったまま、黙りこくっていた。
泣いてるのかな、と暗示郎はドグマの顔を覗き見た。
が、その目に涙は浮かんでおらず、空虚な顔をしていた。
まるで、魂が凍りついてしまったかのようだった。
暗示郎は、うろうろとしながら迷った。
……どうしよう。正直、僕この話には何の関係も無いし……口出ししていいものかな?
でも、せっかく何かこの場を切り抜ける策があるみたいなのに……こんな状態で、うまく行くもんなのかな?
それに、普通なら放っといてもいいのかもしれないけど、"最果て"ってのは何が起こるかわからないしなぁ……
これが引き金になって、また妙な病気にでもなったら困るし……
しょうがない……怒らせるだけかもしれないけど、どうにかやってみよう……

「……ドグマぁ」
「……」
「僕が居たんじゃ、泣けないの?」
暗示郎が問いかけると、ドグマはかすかに眉を動かした。
「……誰が……泣くか……」
言葉は強がっているようでも、その声には強さの欠片も感じられなかった。
強い後悔と酷い喪失感が漂う、抑揚も活気も無い声だった。
「大切な人だったんだね。泣いていいと思うよ、こういう時は……」
「……」
「本当に悲しい時って、涙も出てこないもんだけどさ……
気持ちはわかるよ、僕も下の姉ちゃん、亡くしてるしさ……」
「何が、『気持ちはわかる』だ! どうせ、病死か何かだろう……それとは訳が違う!
私は……私は、返しきれないほどの恩を受けた者に、礼のひとつも言う事なく……
私が、あいつを殺したのだ! これ以上無い、最悪の裏切りだ……!」
血を吐くように、ドグマは叫んだ。
体が動けば、壁に頭を叩きつけてやりたいほどだった。
……ドグマって、意外と"恩"だの"裏切り"だのって、気にするんだね。
まだまだ理解が足りないなぁ、と暗示郎は内心で呟いた。

「いや、気持ちがわかるっていうのは……悲しかった事だけじゃなく……自分を責めたっていう事……
まぁ、そりゃあ、君とは比べものにならないかもしんないけどさ……」
「……」
「病死じゃなくて、交通事故……僕が弁当忘れて、追いかけてる時に……
なんで忘れたかな、忘れさえしなければ姉ちゃん死ななかったのに……って、ずっとずっと自分を責めてた……」
「……」
「酷い鬱になって、何もしたくなくって……とうとう学校も留年確定しちゃってさ……」
「……貴様が?」
いつも明るく能天気だと思っていたので、暗示郎が鬱になるなど、ドグマには想像がつかなかった。
「酷いなぁ……ホントだよ。
まっ、学校はそれより前から、つまらないつまらないとは思ってたけどさ。
就職に有利だからって親に勧められて薬学部行ったけど、本当は文系の方が好きだったしさ。
喫茶店やピッツァ屋でのバイトの方が、楽しくて……」
「……」

「話はちょっと変わるけど……僕、マルセルの事、そんなに嫌いじゃないんだ。
いや、三郎を庭園に無理矢理繋いだのだけは、ダメだと思うけど……」
「囚われておいてか?」
「や、僕はあんまり、囚われてるって気じゃなかったから」
「では、奴隷根性か?」
「それも違うと思うけどなぁ……君からどう見えるかは、ともかくとして……
僕、マンションの屋上の縁に座って、ぼーっとしてたんだ。
休みすぎて、バイトまでクビになっちゃって……
もう、死んじゃおっかなー……でも、痛いかなー、とか……」
「……」
「そしたらマルセルがやってきて、『こんなところで何してるの?』って話しかけられてさ。
僕は、全部話したよ。マルセルも、全部聞いてくれた。
わんわん泣いたよ。それまで、悲しくても涙が出てこなかったのに……」
「……」
「僕が泣き止んだら、マルセルは姉ちゃんの事には触れずに、全然別な事を言ってきたよ。
『貴方は、何が好きなの?』って。
僕は言ったさ。『僕は学生だけど、喫茶店やピッツァ屋のバイトの方が好きだったな。
僕のサービスでみんなをハッピーにできるし、僕もハッピーをもらえるから。
もう、クビになっちゃったけどね』って……」
「……」
「そしたら、マルセルが『私のところへいらっしゃい。貴方のような人を、待っていたのよ!』って。
いやぁ、我ながら後先考えずにホイッと行っちゃったね。親や上の姉ちゃんも居るってのに。
その事、後悔した時、無いとは言えないけどっ!」
「……」
「楽しかったよ、庭園のオープンカフェ。
お客さんはみんな暇人だから、ただお茶や料理を持っていくだけじゃなく、いくらでも喋っていられるし。
たまにちょっとしたサプライズイベントをしかけると、急にクリスマスが来たみたいに喜んでくれたなぁ……
関係無いっちゃ無いけど、なんだか姉ちゃんも喜んでくれたような気がした」
「……」

「結局……あぁ、先に言うけど罪の意識を持つな、って意味じゃないよ。
自分を責めて引きこもってても、何にもならないんだよね。
月並みだけど……目の前にある、自分にできる事をやるしかないんだなぁ〜って、その時思ったよ」
「……」
「でもさ……うん、わかってるよ。
だからってそうそう、そんなふうにスパッと切り替えられるもんじゃないよね」
「……」
「だから、泣いちゃいな、ドグマ。泣くのも、弔いだよ」
そして薬でもあるね、と暗示郎は心の中で付け足した。
「僕は、泣いたからって、君を弱いとは思わない」
「……っ」
その言葉に突き動かされたかのように、凍りついていたドグマの心にぐっと熱いものがこみあげた。
ぼろぼろと、堰を切ったように涙があふれ出した。
「うわぁぁぁぁッ! あぁぁぁぁッ!」
叫びながら、ドグマは号泣した。
声にもならず、泣きながら彼は心の中で旧友に詫びた。
……すまなかった、シャール……許せ……許してくれ……!
 
 
 
ぐったりとするまで泣き疲れると、ドグマは考え始めた。
その間も時折しゃっくりあげ、涙が顔をつたって落ちた。
……シャールばかりではない。私は、無自覚に罪を重ねてきたのだな。
さながら、荒地を開墾して小さな花を根絶やしにするかのように。

……そうだ、思い出した……派遣した兵が、反逆した魔物の一派を捕らえた、次の日。
朝から神経痛がしたが、苦しみを押し隠し、体を引きずるようにして、公開処刑が行われる通称"赤い丘"へと向かった。
これだけは誰かに代わってもらうわけにはゆかぬ、私自ら処刑命令を下さねば。
ただでさえ、直接命を刈り取るのは死刑執行人任せで、自分は手を汚さぬのだから。
せめて、罵声と憎しみの視線を浴びる事から逃げてはならぬ、と──
途中、ウィロー ──三郎とすれ違った。奴は私に、軽蔑の目を向けて見送った。
奴は、何もしない。ただ日々、綺麗な木や花をいじっているだけ。
それなのに、私を軽蔑する資格があるものか。
私とて、胸を痛めていないわけではない。
しかし、モスタリアのために心を鬼にしてやり通さねばならぬのだ。
手を汚さずに、安全な場所から人を見下すな。
そう思い、私は奴を無視した……

……"赤い丘"は、押し寄せた野次馬が発する、歓声と好奇の視線で満ちていた。
縛り上げられた反逆者達は、妙に静かに、進み出た私を見上げた。
無数の針が刺さるような痛みをこらえながら、私は天に手を掲げ、処刑を命じると共に振り下ろした。
反逆者達の手足に釘を穿つ音ががつがつと響き、次々に十字架が立てられていった。
苦悶の声を聞きながら、私は人々の期待に応えられた事に安堵していた……

……今より、エイリアスであった時の方が、神経痛を起こす頻度が高かったが。
あれは単に激務で体を酷使していたせいだけでなく、"何か"の警告だったのかもしれない。
警告を無視し、少数派の痛みを無視して、多数派の幸福実現のために突き進んでしまったが……

……この世界に適応できぬ私が、"何か"に生かされて、生きている。
生きているという事に、なんらかの意味があるのだろうか。
"何か"が私に下した判決が、死刑ではなく懲役だというのなら。
罪を自覚し、罪を償い、死者を弔って生きろという事であろうか。
何をすれば、シャール達への手向けになるだろう……

いつの間にか、ドグマの目は乾いていた。
頃合いを見て、暗示郎は声をかけた。
「ドグマ、冷めちゃったけど、ご飯食べよっか。
とりあえず今一番しなきゃいけないのは、体力を落とさない事だと思うな」
「……うむ」
ドグマは、小さく頷いた。
 
 
 
三郎は公園のベンチに寝転がって、昔の自分を思い出していた。
"赤い丘"へ向かうエイリアスを見送りながら、胸の奥で渦巻いていた言葉を、口に出してみた。
「多数派のために少数派を握りつぶす事に、貴方は何の疑問も持たないのですか?
固い信念の元に、揺らぐことなく貫き通せば、その行動は『正しい』のですか?
努力を怠らず、自己犠牲的に身を削って尽くせば、その行動は『正しい』のですか?
『地獄への道は、善意で舗装されている』という言葉があります。
例えば、向こうの世界で行われた……動物愛護の名の下に、野生動物に餌をばらまく事。
それでかえって、絶滅を加速させたり、凶暴化させたり、生態系を滅茶苦茶にしたりした、馬鹿もいます。
自分が、愛にあふれた正しい人間だと、疑いもせずに……
貴方が、そんな輩と同類でないと言い切れるのですか?
僕には、貴方が視野狭窄に陥ったナルシストに見える……貴方は、醜い……」

……公開処刑を見物する趣味など、僕は持ち合わせていません。
"赤い丘"に足を踏み入れたのは、その時が始めてでしたね。
十字架の間を歩き、すぐに探していた、見覚えのある遺体を見つけました。
不思議と安らかな、シャールさんの死に顔を眺めているうちに……
恩人をあっさり切り捨てた──と、誤解していた──兄上に対する、猛烈な怒りがこみあげてきて……
遺体をついばもうと飛んできた鳥の群れに、石を投げつけた……
そして僕は、あの人はもう駄目だと見切りをつけた……

……いや、違う……それだけではなかったはず……
……そう……同時に僕は、自分を激しく嫌悪したのでした。
僕は、ただ兄上を軽蔑するだけで何もやっていなかった、と……
僕は兄上を見捨てて逃げただけでなく、イエソド兄さんの反逆に、間接的に手を貸しましたが。
義憤に駆られたとか、立派なものではなく。
やつ当たりとか、何か行動を起こして自分を満足させたかったとか……
そういう気持ちも、入っていたのかもしれませんね……
「僕は……醜い……」
 
 
 
食事を取り、しばらく時間を潰してから、三郎はそろそろと地下へ様子を見に行った。
「はぁい、三郎」
暗示郎は小声で言って、ぱたぱたと手を振った。
「あの……兄上は……」
つぶっていた目を少し開けて、三郎は問うた。
ベッドの方をちらりと見やって、暗示郎は答えた。
「ご飯食べたら、ことんって寝ちゃったよ。泣き疲れたんじゃない?」
「泣き……」
何らかのフォローを暗示郎がしてくれたのだろうと考え、三郎は目を閉じて頭を下げた。
「すみません、暗示郎。冷静になってみると……兄上に、随分言い過ぎてしまったと思います。
あそこまで言わなくても、良かったでしょうに……」
「いいって、いいって。誰にでもあるよ、そんなこと。
まぁ、やたらとオブラートに包みたがる君らしくないな、とは思ったけどさ」
「喋っているうちに、昔の気持ちが蘇ってしまったのかもしれません……すみませんでした」
三郎はもう一度頭を下げると、ワゴンの持ち手を手探りでつかみ、スロープを上がっていった。
「刃にも、薬にもなるのが、言葉だよね……」
暗示郎は、小さく呟いた。

 

10.

二日後の夕方、三郎は生きた魔法陣を全て組み終えた。
ふぅ、と安堵の吐息をついた後、考えから抜けていた点に気づいた。
……そういえば、呪文を唱えるポジションはどこにしましょうか。
地面の上だと、異変に気づいたマルセルに、また牢へ落とされる危険がありますよね。

三郎は、試しに大きな樹に登ってみたり、滑り台に登ってみたりした。しかし、満足がいかず首を横に振った。
……駄目ですね。樹の上だと、計画通りやるには不安定すぎます。
滑り台程度では、それごと牢に落とされるかもしれません。
それに、できれば目玉キノコが見えないくらい高い場所の方が、集中できそうです。
……となると、ちょっと距離が離れてしまいますが……
三郎は、頭上を振り仰いだ。
 
 
 
三郎は屋上に上がり、一段高くなっている縁へと立った。
真下にある公園が──生きた魔法陣が、よく見えた。
地面で呪文を唱えるよりもだいぶ距離は離れるが、視界内であればなんとか発動可能なはずであった。
また、屋上にも目玉キノコはびっしりと生えていたが、背を向ける形になるので目には入らなかった。
それらの点は、良かったが──
「やっぱり、目立つ……」
公園にはまだ、いくつか人影が見えた。
見上げられているわけでもないのに、三郎は人の視線を意識した。
もじもじと背中を丸め、長い手足を隠すように縮こまらせた。
「恥ずかしくない、恥ずかしくない……僕がやろうという事の、恥ずかしさに比べれば……
この程度で怖気づいていて、どうします……」

「何やってんだ、馬鹿野郎!」
三郎は、突然後ろから抱きつかれた。
「シ、シシ、シモーヌさんっ?」
背中に当たる柔らかい胸の感触に、動揺してどもった。
「死んで何になるってンだ! 死んだら負けだ! 上手くいかない事があっても、できるまでやりなおせ!」
「あ、いや……」
何か、凄まじい勘違いをされたらしかった。
三郎は向き直って話そうとしたが、がっちりと捕まえられていて身動きできなかった。
「ちょ、離してくださいよ!」
「離したら、落ちるだろ!」
「落ちません! 妙な気を起こしたわけじゃ、ありません!」
「じゃあ、何だってンだ!」
「えーと……」
まさか脱出のための作戦を練っていたとは、目玉キノコに見られている中、言えるはずもなかった。
三郎は困り果てて、視線を巡らせた。
団地の敷地外に、どこまでも広がる森林が見えた。夕焼けで木々は朱に染まり、美しかった。
「その……眺めが良かったので……」
「恥ずかしいってのは何だ! 脳漿ブチまける事じゃないのかッ!?」
「う、歌でも歌いたくなりまして……」
三郎は、適当に嘘をついた。
「歌だァ? 嘘つくな! そんな浮かれた野郎には見えないぞ!」
「本当ですって。魔術師と音楽とは、切っても切れないものなんですよ」
「じゃあ、このまま歌ってみろ! そしたら信じてやる!」
「えー……」
三郎は恥ずかしく思ったが、離してくれそうにないので仕方なく、心を決めた。
何を歌おうかと考えるうち、仲間達の顔が目の前に広がる景色に重なって見えた。
口が自然と動き、Sound Horizonの"朝と夜の物語"を紡ぎ始めた。

「──泣きながら僕達は来る 同じ苦しみを抱きしめて
笑いながら僕達は行く 遥か地平線の向こうへ
廻り合う君の唇に嗚呼……僕の詩を灯そう...…
いつの日か繋がる《物語》──

泣きながら僕達は来る 同じ哀しみを抱きしめて
笑いながら僕達は行く 遥か地平線の向こうへ
廻り逢う君の唇に嗚呼……僕の詩を灯そう...…
僕達が繋がる《物語》──

生まれてくる朝と 死んで行く夜の物語...…
嗚呼...…僕達のこの刹那さは 良く似た色をした《美花》──」

柔らかな三郎の歌声が、ゆるやかに広がって行った。
すっと、三郎の体を捕まえていた手が引かれた。
「いい声じゃん、おまえ」
ゆっくりと、三郎は向き直った。
「それは、どうも……」
帽子をとって、夕焼けでいっそう赤々と見える髪の女に、深々と頭を下げた。
 
 
 
「ま、歌いたくなる景色じゃあるか。私もな、窮屈な気分がするとここへ来るんだ」
シモーヌはひょいと縁に上がって腰掛け、足をぶらつかせた。
「そうですか……」
三郎は再び外を向いて、景色を眺めた。
「ところで、おまえらってどういう関係?」
「おまえら……と、言いますと?」
「デケェのと兄弟ってのは聞いたけど、黒髪ツンツンのと」
「オロカですか……えぇと……」
どういう関係というのでしょう、と三郎は内心、首をひねった。
「……友人、ですよ」
結局、単純な言葉を選んだ。
「ツルんでるにしちゃ、同じようなタイプにゃ見えねェけど」
「……まぁ……違いますよ、全然。オロカ自身、僕が月なら自分は土、だなんて言っていましたし」
「土だぁ? どういう例えだ、そりゃ」
「さぁ……あの人の考える事は、よくわかりません」
三郎はシモーヌを見下ろして、苦笑を浮かべた。
「わからないのに、ダチになれるのか?」
「なれるみたいですね、不思議な事に。
いや……最初はちょっと、うっとうしいな、とか思う事もあったんですが。
いつの間にか傍に居た、それがあたりまえになっていた、みたいな感じで……」
「そっか……」
シモーヌは頬杖をついて、小さく呟いた。
「……も、なれっかな……」
「……はい?」
三郎が聞き返すと、シモーヌはいきなり彼をドンと強く押した。
「わわわっ……ちょ、危な……」
少しよろめいた三郎を尻目に、シモーヌは立ち上がり、プイッと背中を向けて走り去った。
「何でもねェよ!」

「まったく、乱暴なんですから……」
三郎は、小さく呟いた。
相変わらず、恋人にしたいなどとは全く思えない女性だった。
しかし、少しだけ可愛らしい、と思えた。
「力を、合わせましょう……みんなで……」
三郎は茜色の空を見上げ、手を伸ばすと、Sound Horizonの"美しきもの"を口ずさみ始めた。

「──君の大好きな この旋律..….大空へと響け 口風琴...…
天使が抱いた 窓枠の画布..….ねぇ...…その風景画...…綺麗かしら?──」

 

11.

翌日の早朝、三郎はコートの内ポケットに、ドグマの指揮棒を差し入れた。
「オロカ、それを持ってきてください」
「いいけど、何するんだ?」
爆撃機の玩具を手に取りながら、オロカは尋ねた。
「貴方は、ラジオ体操でもしてればいいんです」
「へ?」

「シモーヌさん。恐れ入りますが、屋上へ御足労願えますか?」
三郎は、隣の部屋のチャイムを鳴らして、声をかけた。
「あ? あんだよ、朝っぱらから……」
インターホンから、シモーヌの眠そうな声がした。
「来ていただければ、わかります」
三郎はシモーヌが出てくるのを待たずに、階段へと足を向けた。
オロカは、慌ててその後を追った。

オロカと三郎の二人は、団地の屋上へと出た。
「ぶーん……」
何をするのかわからないオロカは、手持ちぶさたに爆撃機の玩具を持って、飛ばしていた。
「あぁ……恥ずかしい……」
三郎はぶつぶつと呟きながら、縁に上がった。
ラジオ体操をするために公園やベランダに出てきている人々もいる中、こんなところへ上がりたくはなかった。
しかし、複数の観点からここがベストと思える以上、仕方がなかった。
 
 
 
ラジオ体操、第1──
チャンチャランチャンチャン、と明るく軽薄な音楽が、号令と共に響き渡った。
三郎は柳眉を寄せながら、音楽に合わせて体を動かした。
時々間違えた振りをしたりもしながら、体操に術の動作を織り交ぜた。

ラジオ体操、嫌いだって言ってたのに……?
オロカも不思議がりながら、爆撃機の玩具を懐に入れて、体操を始めた。
刀は邪魔だったので、近くにあった物干し台に立てかけておいた。
「あーッ! ラジオ体操なんてするなって、言っただろうがッ!」
階段を上がってきたシモーヌが、オロカに詰め寄った。
「い、いやッ、これには訳が……」
迷彩柄のタンクトップから覗く、日焼けをまぬがれた白い肌に、オロカの胸はどきどきとした。
「どんな訳だよ!」
「そ、それが、三郎が教えてくれなくて……」
「何かの作戦か……なら、私も付き合ってやる!」
「お、おぅ……」
オロカはシモーヌと向かい合わせに、体を動かした。

『僕は、日の光を照り返して輝く月。燃えさかる炎に、新しい大気を送り込む風……』
三郎は、小声で呪文を唱えた。
大音量で響く音楽が、うまく声を隠してくれた。
『貴方と同じ血が、僕の体に流れてる。脈打つ血が、同じ時を刻んでる。
時に背を向け、時にいがみ合い、時に傷つき傷つけた。
それでも今では、時の連なりを共に過ごした貴方に、感謝しています……』
この呪文は、旋律は決まってるが、それに乗せる言葉は定められたものではない。
術者が対象をどう思ってるか、対象との関係をどう感じているかを、呪文に織り込むという特殊なものである。
三郎は、自分の素直な気持ちを呪文に込めた。
『貴方と血の繋がりがある事が信じられないほど、貴方は僕とは異なる存在。
しかし、だからこそ僕は貴方に惹かれるのです。草木の若芽が、太陽を追うように。
否定し続けた気持ちですけれど、今こそそれを認めましょう。
性根が根無し草のこの僕が、人との絆を築きたい、信じたいと言えば、お笑いになりましょうか?』
極度の精神集中で、声がわずかに震えた。
三郎は気力を振り絞って、先を続けた。
『いつまで途切れず続く道かはわからないけれど、僕はこの道を貴方と共に歩いて行きたい。
時に助けられ、時に助け、互いに手を取り合って……』
体を動かしながら長い詠唱を続け、浮かんだ汗が頬を伝って落ちた。
『来てください、僕の元へ。体に流れる、同じ血潮を道標に。僕の元へ……僕の元へ……!』
三郎は、すうっと胸いっぱいに息を吸い込み、叫んだ。
『兄上ぇ──ッ!』
 
 
 
牢の中でのドグマの講義は、再開されていた。
「このキノコのように、一部の魔物に例外はあるが……
基本的に魔力の譲渡・奪取ができるのは、血縁者のみだ。
モスタリアではかつて新年に、親族が魔力を交換し合う行事が行われていた」
「って事は、人妻ともおおっぴらにブチュブチュキスしまくり? ウハウハだね〜」
「男同士でも、やらされていたがな」
「うげぇ……君も?」
「いや、私の一族は火属性の者がめったに生まれん血統だったので、相手がいなかった。
当時は、同一属性でないと譲渡できないと思われていたからな……」
そのせいで幼い頃から災いの種呼ばわりされたり、親父に本当に自分の子かと疑われる一因になったりし、更には魔力が枯渇した時に大層苦労したものだが……
苦い経験を思い出し、ドグマは軽く唇を噛んだ。
「ふーん。でも、なんでそんな行事があったの?」
「一説によると、血縁者同士のみで可能な術の成功率を上げると言われている」
「例えば?」
「例えば……」
ドグマは、口を閉ざした。
ふうっと、浮き上がるような感触がした。
「でかした……」
「え? なに、ちょっ……?」
暗示郎は、がくりと脱力したドグマの体を揺すった。
 
 
 
屋上の縁に立つ長身の男が、ゆっくりと猫背を伸ばした。
自分のすんなりと細長い手を見つめ、青い空にかざした。
ちょうどその時、鳴り響いていた音楽が止まった。
「ふっ……ははははは……ッ!」
男は両腕を大きく広げて胸をそらし、大声で笑った。
コートの裾が風をはらみ、ばさばさと音を立てて広がった。
「三郎……?」
オロカは、見慣れた仕草との差異に、首を傾げた。
「この体、使わせてもらうぞ三郎!」
男はくるっと体を反転させてオロカ達の方を向くと、コートの内ポケットから指揮棒を抜いた。
「オロカ、シモーヌ! 詠唱が終わるまで、私を守れ!」
その一人称と態度を持ち合わせる知り合いは、オロカには一人しか心当たりがなかった。
「え……まさか……ドグマ!?」
「へっ……? ドグマって、まさかあのデケェのか?」
「中身が、入れ替わった!」

三郎──否、三郎の姿をしたドグマは、心の中で旧友に語りかけた。
……シャールよ……おまえにも、鎮魂歌にも、ふさわしい歌詞ではないが。この歌を、おまえに捧げよう……
体が軽く、良く集中できそうに感じた。
それは、俊敏な三郎の体を借りているせいだけではないような気がした。
ドグマは指揮棒を振りながら、高らかに呪文を唱えた。

『変化に怯え、変化を生み出す。それが進化か、臆病者め。絶対不可侵の己を持てば、何に怯える事も無い』

「三郎……いえ違う、ドグマッ!?」
ふっと現れたマルセルは、恐れと怒りを露わにした。
「やめさせなさいッ!」
マルセルは腕を広げ、叫んだ。
屋上の床を埋め尽くしている目玉キノコの群れがザザァーッと寄り集まり、五体の人型を成した。
「行くぞ、シモーヌ!」
「おぅッ!」
オロカとシモーヌはそれぞれ、刀とナイフを構えた。

『理由は知らぬ。意味も解らぬ。根拠も証拠も必要ないわ』

……数が多い敵と当たる時は……一撃で倒す!
「おらぁーッ!」
オロカは防御を捨てて、大きく刀を振りかぶった。
群体キノコの繰り出す拳の下をくぐり抜け、半ば体当たりするように胴へ刀を叩き込んだ。
胴を真っ二つにし、群体の向こうへ突き抜けた。
が、そこへは別の群体キノコが走り込んで来ており、拳を振り上げていた。
「や……ぶぇッ!」
態勢が崩れていたため、かわすことができず、まともに顎へ拳をくらった。
衝撃でオロカの体が浮き上がり、どうっと倒れた。
ちかちかと、オロカの目に火花が散った。

『なぜなのか。どうなるか。自分が何から生まれたか。そんな事はどうでもいい』

さらに三体目の群体キノコが転倒したオロカを踏みつけようと、足を持ち上げた。
「オロカッ!」
シモーヌが背後から突っ込み、ナイフで群体キノコの足を切り飛ばした。
さらにその背後で、四体目の群体キノコが拳を振り上げた。
「シモーヌッ!」
起き上がったオロカが、群体キノコに体当たりをかました。

『鳥たちよ、爆撃だ! 回る因果の風車を壊せ!』

大きく回り込んだ五体目の群体キノコが、ドグマに迫っていた。
「まずッ、こっち任せた!」
オロカが、床を蹴ってダッシュした。
刀が、群体キノコの背中を貫いた。
それでも勢いは止まらず、群体キノコはドグマに体当たりした。
借りている肉体は素早くとも、精神を集中させているドグマにかわす余裕はなかった。
ぐっと腰を低くして彼は受けたが、ズザザッとサンダルの底が滑り、空中に投げ出された。
「ドグマ!」
左腕から肩にかけて衝撃がかかり、ドグマの体が宙に停止した。
オロカが自分の左手をつかんでいるのを目で確認すると、ドグマは大声で残りの呪文を発した。

『"もしも"なんてどこにも無い! 今ここにある事が全てだと、臆病者に教えてやれ!』

オロカの懐から滑り落ちた爆撃機の玩具が、一回転して態勢を立て直し、猛スピードで飛んだ。
次の瞬間、爆撃機の玩具は弾けるように膨れ上がり、分裂した。
当初、ドグマはミサイルを団地にぶちこむつもりだった。
しかし、"大事の前の小事"の論理によって多くの人命を轢き潰してきた事を自覚した今となっては、それはできなかった。
ドグマは精神を集中し、精密なコントロールを行った。
実物大となった爆撃機の編隊から、ミサイルが発射された。
ミサイル同士が空中で衝突し、大爆発した。それを目の当たりにした、人々の悲鳴があがった。
「いやぁーッ! やめて!」
マルセルもまた、頭を抱えて悲鳴をあげた。
何も壊されていなくとも、ミサイルが団地に当たればどうなるか、ありありと想像させる効果があった。
オロカに引っ張り上げられたドグマは、足を踏みしめると、彼女を恫喝した。
「マルセル! 大事なステージをブッ壊されたくなくば、我々四人とシモーヌをここから出せ!」
「わかった! わかったわよ! もう出て行って! みんな二度と、足を踏み入れないでッ!!」
 
 
 
マルセルの叫びと共に、視界が真っ白になった。
霧のようにそれが薄れていくと、彼らは森の中にいた。
離れた木々の上に少しだけ、団地の上部が突き出しているのが見えた。
体から生えている目玉キノコがぼろぼろと自然にもげ落ちて、しなびていった。
「……三郎」
ドグマは、倒れている本来の自分の体の元に歩み寄り、見下ろした。
「良くやった」
ドグマの姿をした三郎が、それに応じた。
「兄上こそ、お見事です」
兄弟は、笑みを交わしあった。
入れ替わりに牢へ落ちた三郎に見えるはずもなかったが、何をしたかはだいたい予想がついていたのだ。
三郎は首を横に倒して、ドグマ以外の皆を見やった。
「すみません……向こう向いててもらえます?」
「はーい♪」
なんとなく察して、暗示郎がくるんと背中を向けた。
「お?」
首を傾げたシモーヌの肩をつかんで、オロカが自分の体で視線を遮った。
ドグマは膝を地について、三郎を抱き起こした。
軽く唇を重ねると、二人の魂は本来の肉体に戻っていた。

 

12.

「しかし、幸運でしたね。
兄上はともかく僕程度の実力で、結界の中、たった一度で術の発動に成功するとは思いませんでした。
一応、百回ぐらいやる気でいたのですが」
地面に魔法陣を描きながら三郎が言うと、寝そべったままのドグマが応じた。
「まぐれではあろうが、百回乗り越えてもやり遂げてやると思えた点は褒めてやる」
「曹操じゃないんですから、『天よ、我に百難を与えよ』だなんて柄じゃないですよ」
三郎は、小さく笑って言った。
「百回に一度の成功率なら百回やればいい、と言ってくださったシモーヌさんのおかげです」
「まぁ、そんなところだろうな。そんな事を言うのは、オロカの方かと思ったが」
「好みでは全然ありませんが、オロカが惹かれるのもわかる気はしますね……」

オロカと暗示郎は、地面に散らばった弾丸を拾い集めるのを手伝ってやった。
「弾、返してくれて良かったな」
「まーな。気持ち悪ィけど、元は私のだし、いいとするさ」
シモーヌはそう言って、弾を綺麗に並べ終えた弾倉を、サブマシンガンにじゃこんとセットした。
「準備できましたよ。よろしければ、シモーヌさんも御一緒にどうぞ」
三郎が声をかけると、シモーヌは「あん?」と顔を上げた。
「シモーヌも、一緒に御飯食べよー♪」
暗示郎も、声を弾ませて誘った。
「敵じゃなけりゃ、食えって飯を差し出されても、いいんだろ?」
オロカが問うと、シモーヌはぽりぽりと頭を掻いて、予備弾倉をリュックサックに突っ込んだ。
「まー、な」
 
 
 
三郎が"テレポート"の呪文を唱え終わると、彼らはツリーハウスの中へと転送された。
「結構、しゃれた所に住んでんじゃん」
シモーヌは、窓から身を乗り出して外を見た。
「んー……」
オロカは、曖昧に相槌を打った。
……何を、話そう。
意識してしまうと、何も思い浮かばなかった。

そうこうしているうちに、ドグマが三郎に肩を貸されてトランクに入り、子供に戻っていた。
「それでは、僕達は食材を集めてきますので」
「じゃーね、オロカ」
「へ……?」
オロカが戸惑っていると、ドグマが無言で彼に何かを投げてよこした。
とっさに受け止めると、それは深い紅色をした櫛だった。
柄の部分についた、小さな鏡がキラッと光を放った。
シンプルなデザインだが明らかに女性用で、ドグマの持ち物とは思えなかった。
「これ……?」
……うまくやる事だな、オロカ。
ドグマは彼に軽く手をあげてみせると、さっさと縄梯子を降りて行った。
三郎と暗示郎も、それに続いた。
……ひょっとして……気を利かされたのかな?
オロカは、頬が熱くなるのを感じた。

オロカは意を決して、まだ外を見ているシモーヌの横に並んだ。ちらっと、シモーヌが彼の顔を横目で見た。
「えー……っと……」
「……何だよ」
「お……おまえって、これからどうするんだ?」
何だかしょうもない事を聞いているなと思いながらも、オロカは言葉を継いだ。
「……どうしよっかなー、って考えてたとこ」
「へ……?」
オロカは、きょとんと首を傾げた。
「何かしたくて、団地の中であがいてたわけじゃないのか?」
「……悪ィかよ。
『最果て』に落ちて、行くあてもなくさまよってたら、いきなり出てきたマルセルにかっさらわれてさ。
それッからは、とにかく奴に歯向かう事しか考えてなかった……」
「そ……そっか……」
ごくり。
オロカは、唾を飲み込んだ。
……それなら、ここで一緒に暮らさないか?
そう言ってみようか、とは考えたのだが。その言葉が、どうしても喉につかえて、出てなかった。
……あっさり、断られたらどうしよう。
それどころか、キモッ!とか言われたらどうしよう。
たぶん、俺はシモーヌの事が、好きなんだと思う。
けど、それは俺の勝手な、独りよがりな気持ちといえば、そのとおりだし。
何かにつけてデケェ、デケェ言うところをみると、ドグマみたいな体のでかい、男らしい男の方が、好みなのかもしれないし。
それに一緒に生活するとなると、男所帯の中で一人、女っていうのも、嫌かもしれないし。
そういえば、ドグマは女嫌いになっちまったらしいって、暗示郎が言ってたし。
いや、それ以前に、そんな事を俺一人で決めていいんだろうか?
様々な考えが、ぐるぐると頭の中を巡った。

「いざ、あそこを出てみると、私って……特にやる事、ねーんだな。
何かに歯向かうのが、好きってだけなんだ。私って、駄目だな……」
ぶつぶつと呟くようにシモーヌが言って、慌ててオロカは彼女に向き直った。
「そ、そんな事ない!」
「あン?」
「お、おまえは……その……えっと……魅力的だ!」
「……何がだよ」
「何かに歯向かう時、物騒で、苛立ってるかもしれないけど、燃え立つ炎のようにキラキラして……
それだけで……それだけで……」
……俺は、おまえの事が……
脳裏をかすめた言葉をごくんと飲み込んで、オロカは続けた。
「……魅力的だ!」
「……」
シモーヌは、妙な物でも見るようにしげしげとオロカを見つめていたが、フッと笑った。
「……ありがとよ」
「あ……あぁ……」
礼は言われたが、オロカはなんだかあまり嬉しくなかった。
自分が、チャンスを逃してしまったような気がした。

「そうだなぁ。旅にでも、出るか。次に歯向かうものを探して……」
シモーヌの目が、遠くを見ていた。
オロカは下を向き、しばらく迷ってから、視線を上げて口を開いた。
「シモーヌ」
「ん?」
「その……気が向いたら……い……いつか……会いにきてくれ」
オロカは、やっとそれだけを言った。どくんどくんと激しく脈を打つ胸に手を当て、返事を待った。
「……いいぜ」
案外と、あっさりシモーヌは言った。
「そ……そう……ありがとう。こっ……これ……」
オロカは、ドグマに渡された櫛を差し出した。
「ん……?」
受け取ったシモーヌの手と指が触れ合い、ドキッとしてオロカは手を引っ込めた。
「や……やるよ……」
「そっか。もらっとく」
 
 
 
ドグマ、三郎、暗示郎の三人は食材の調達から戻り、暗示郎が料理を始めた。
他の誰かが料理する時間というのは、何かするには短いが、何もせずに待つのは長いものである。
暇を持て余したドグマは、ピアノでも弾こうかと考え、三郎に言った。
「三郎。私のベーゼンドルファーを出せ」
「え? ……はい」
三郎は"アポート"を使い、ツリーハウスの中に置いたままのトランクを手元に引き寄せた。
中の小袋の口を開き、グランドピアノを飛び出させた。
ずん、と軽い地響きを立てて、ピアノは地面に設置された。
ドグマはピアノを、愛しいものに触れるかのように優しく撫でた。
黒くつややかな表面に、ドグマの顔が映った。
「ん……ッ!?」
一瞬、自分の背後に何かの影が映り込んだ気がした。ドグマは、がばっと振り向いた。
しかし、そこには誰も居なかった。

不意に、ドグマは師オスカーと交わした言葉を思い出した。
「先生。何故、火属性は『災いの種』呼ばわりされるのだ?」
「私も火属性だが、それがどうした?」
「どうした……と、言っても……」
「火属性は破壊力が高く、暴走しやすい。恐れられるのは、当たり前だ。
災いをもたらす力があるというならば、それも上等。その力を制御し、敵に災いをもたらせ。
そうすれば、力は頼もしさに変わる。忘れるな、優しいだけでは人は守れないという事を」

……あの時は……"優しさ"なんてものは、たいして役に立たないと……
"火"である私が、それを持ち合わせていなくとも、求められるのは御門違いであると……
それよりも、"強い力"と"それを制御する力"があってこそ、"火"たる己に存在意義が生まれるのだと思った。
それはそれで、救われはした。しかし……
先生が真に言いたかったのは、"強いだけでも、優しいだけでも駄目だ"という事だったのかもしれない。
それとも……"優しいだけでは"という事は……
この私に"優しさ"なんてものが既に備わっているとでも、先生は思っていたのか?
もうそれは……確かめるすべは無い。

「どうなさいました、兄上?」
「三郎……」
「はい?」
「オスカー先生を殺したのは、『仕方のない事』と思うか?」
「……」
三郎は少し考えてから、口を開いた。
「兄上が心から『仕方がなかった』と思うのなら、そうなのでしょう。
しかし、そう疑問をお持ちならば、何か御自身の心に引っかかっている事があるのではないですか?」
「引っかかっている事……」
「例えば……ベストを尽くしていなかったのではないか、とか……」
「ベスト……か」

「最初の手紙で、味方につく事を断られた時……本当は、おまえに任せず、先生に直接会って説得したかった。
しかし、単身乗り込む事は、既に味方になっていた者達が猛反対した。危険すぎる、と」
「えぇ、そうでしたね」
「そこで二通目の手紙には、街の外で会おうと書いた」
「そうだったのですか。てっきり、皆に反対されて会うのは諦めたものと……
それは、実現しなかったのですか?」
「うむ……」
ドグマは腕を組んで、頷いた。
「待ち合わせの場所に向かう途中、背後から矢を受けてな。意識を失って、気がついたらアジトで寝ていた。
どうやら毒矢だったらしく、それから三日三晩、痛みと高熱で苦しんだ。
それからは、先生に直接会おうという気は失せた。無理に会おうとすれば、また罠にはめられるだけだと」
「それは……おかしいですね」
「うむ、今考えてみると……おかしい。
追撃は供の者が防いでくれたのだろうが、それなら何故魔術を使わなかった?
庇う者もろとも、焼き払ってしまえばよいではないか?」
「いえ、そこではありません。オスカーさんから、全くそんな話は聞いていないのです」
「まだ若かったおまえの手前、伏せたというだけではないのか?」
「それと、二通目の返信を届けに行った時、確か兄上は留守でした。
部下の方に預けて、お渡しするよう頼みましたが……すり替えられた可能性などはありませんか?」
「……考えられなくはない。しかし、誰がそんな事を……何のために……」

三郎は、顎に手を当てて首を捻り、導き出した答えを口にした。
「兄上。これは、根拠に薄い推測ではありますが……」
「ん?」
「僕は、政治や軍事、いや権力そのものに興味を持っていなかったという事は、御存知だと思いますが。
兄上に味方した方々の前では、ことさらそれをアピールする必要がありました。
何故だか、おわかりになりますか?」
「敵を作らないため、か?」
「えぇ。そうしておかないと、彼らに暗殺されかねないと思ったからですよ」
「暗殺? そこまで危惧せねばならん状況だったのか?」
「はい。彼らは、誰かがナンバー2として抜きん出る事を怖れ、水面下では激しく牽制しあっていました。
兄上の弟である僕が『仮想敵』と見なされないために、印象付けておく必要があったのです。
『僕は単なる風流人、野心などこれっぽっちもありません。
兄上に頼まれて、使いっぱをしているだけに過ぎませんよ』……と」
……後に、突然外から入ってきたイエソド兄さんが、ナンバー2として認められる運びになりましたが。
兄さんが強かったというのもありましょうが、彼らを懐柔するのが、よほど巧みだったのでしょうね。
三郎は、心の中で続けた。
「もう、僕が何を言いたいのか、おわかりですね?」
「そうか……そういう事か……」
……私が先生を尊敬していた事は、多くの者が知っていた事だ。
その上、直接会って説得しようというのが、明らかな特別扱い……
先生がナンバー2になりえると、警戒されたか。
ドグマは深く頷き、納得した。
「味方が、致死量には至らない程度の毒を塗った矢で、私を射た……と」
「えぇ……僕も、そう思います」

ドグマは強く悔やみ、目を閉じて首を振った。
「止められても、私が一人でこちらから押しかけ、会うべきであった……な」
「どうか、お気に病まないでください……
兄上が会っても、オスカーさんの強固な意志を揺るがす事ができたかどうかは、わからないのですから。
それに、兄上がお帰りになるのを待って、直接返信を手渡さなかった、僕のせいでもあります」
「いや、私の判断ミスだ。配下の心情を把握していなかった事も含めて、な……」
 
 
 
ドグマは椅子を引いて、ゆっくりとした動作で腰掛けた。
ピアノの蓋を開き、静かに構えると、鍵盤に力強く指を走らせた。
初めの数音を聞いてすぐに、三郎は何の曲かわかった。
……"第九"……"歓喜の歌"ですか……兄上のベートーヴェン好きは知っていますが、珍しいですね。
宗教色が入っているものを嫌うせいか、この曲はめったに弾かなかったはずでは……

ドグマは、心の中で師と旧友とに呼びかけた。
……申し訳ない、先生……もう一度、会いたかった……
たとえ結果が物別れに終わったとしても、心ゆくまで話をしたかった。
……それに、シャールも……あれっぽっちでは足りなかったからな……
いやきっと、おまえの事を思えば、歌い尽くすという事は無いであろう。
先生が遺してくれたこのピアノで、先生やおまえの事を思って、日々歌い続けよう。
それで何になるというわけでもないが、せめて……!

「──O Freunde, nicht diese Töne!
(おお友よ、このような音ではない!)
Sondern laßt uns angenehmere anstimmen und freudenvollere.
(我々はもっと心地よい、もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか)

Freude, schöner Götterfunken, Tochter aus Elysium
(歓喜よ、神々の麗しき霊感よ、天上の楽園の乙女よ)
Wir betreten feuertrunken. Himmlische, dein Heiligtum!
(我々は火のように酔いしれて、崇高な汝の聖所に入る)

Deine Zauber binden wieder, Was die Mode streng geteilt;
(汝が魔力は再び結び合わせる、時流が強く切り離したものを)
Alle Menschen werden Brüder,
(すべての人々は兄弟となる)

Wem der große Wurf gelungen,Eines Freundes Freund zu sein,
(ひとりの友の友となるという、大きな成功を勝ち取った者)
Wer ein holdes Weib errungen, Mische seinen Jubel ein!
(心優しき妻を得た者は、彼の歓声に声を合わせよ)」

ドグマの歌声が、朗々と響き渡った。
陰気な鎮魂歌は、彼には似合わない。
荘厳で、かつ魂を燃え立たせるようなこの曲が、死者への手向けだった。
ツリーハウスの窓から外を見ていたオロカとシモーヌが、身を乗り出して聞き入っていた。
 
 
 
パタン──
長い演奏を終え、ドグマはピアノの蓋を閉めた。
「……三郎」
「はい」
「私は……もしかしたら、弱くなったのかもしれんな」
「は?」
……それは……これでもかというほど、重荷を負わされていますから……
考えるまでもなく、兄上の戦闘力が低下している事は、間違いないでしょうが。
しかし、そんな事を改めて言うような状況でもない……
では、重荷が全て取り払われた絶好調な状態だとしても、という事でしょうか。

三郎は、ドグマの横顔をじっと見つめた。
すると、ドグマのまなざしから受ける印象が、以前とは随分変わっているのに気づいた。
飢えきった獣のように、剣呑だった瞳。
そして、すべてを焼き尽くす炎のような、ギラギラとした光を宿していたはずの瞳。
それが前と比べれば随分穏やかになり、温かみすら感じた。
……この人は……変わりましたね。
なんだか、どうしても必要な状況だったとしても……モスタリアでやったように、巻きぞえ覚悟で敵の本拠地を爆破するような行為ができるようには、見えません。
魔術を使う妨げになる精神状態は、恐怖……混乱……それに、躊躇……
そう、躊躇……たとえ理性では、やむをえないと割り切っていても……感情が邪魔をして、発動に失敗してしまいそうな気がします。
そういう意味では、兄上は弱くなったのかもしれません。
でも、それは必ずしも悪い事ではないのではないでしょうか。
僕が、"根を張ることを認めた"ように……兄上の場合は……

「僕は……」
三郎は、そっと口を開いた。
「『超人』の兄上よりも、『人間』の兄上の方が、好きですよ」
「……」
ドグマはゆっくりと向き直り、三郎を見つめた。
「そう、か……」
「はい」
三郎は、柔らかな微笑みを浮かべてみせた。
「なら……まぁ、よいか……」
ドグマもまた、わずかに微笑を浮かべた。

 

13.

暗示郎が作った鹿肉のローストを、ガツガツとシモーヌは頬張った。
……いい食べっぷりだなぁ。
そう思いながらオロカは、包んであった大きな葉を広げ、パンノキの実の蒸し焼きをシモーヌに差し出した。
「こっちも美味いぞ」
「なんだ、こりゃ?」
「パンノキ。そういや、俺達がここへ落っこちて、最初に食べたのもこれだったな……」
「フーン」
オロカに勧められるままに塩とバターをかけ、シモーヌはがぶりとパンノキの実に食いついた。
「ん、うまい」
「だろ?」
ふとオロカが視線を上げると、ニマニマして見ていた暗示郎が、慌ててそっぽを向いた。
……見んなよ……食ってる時まで遠くに行かれたりしたら、逆に恥ずかしいけど……
オロカは、頬を赤く染めた。

オロカは途切れ途切れに、シモーヌと言葉を交わした。
だが、話す事はといえば、料理の味についてばかりだった。
オロカぁ……他に話す事、ないの〜……?
見かねた暗示郎が、話題を持ち込んだ。
「えっと……たしか、『シモーヌ』って、フランス語の名前だったよね。フランス人?」
「ん。一応、国籍はフランスだけど、フランスに居たのはガキの頃だけだな」
「あ……俺、フランスで傭兵やってた事、ある」
オロカが言うと、シモーヌが彼に目を向けた。
「傭兵? 外人部隊の事か? アレって、かなり狭き門だぜ?」
「外人部隊? いや、えーっと、確か……
後の世では百年戦争って呼ばれてるとか、マルセルが言ってたような……その頃だが……
戦争が中断すると転々としてたから、フランスだけじゃないけど……」
「百年戦争? いつの話だ、それ」
「フランス人が、何故知らんのだ。中世だ、中世! 1337年〜1453年!
フランス王位の継承とフランドル地方の領有その他をめぐる、 ヴァロワ朝フランス王国と、プランタジネット朝およびランカスター朝イングランド王国との戦いだ」
「ジャンヌ・ダルクが有名ですね」
ドグマと三郎が、口を挟んだ。
「ドグマ、細かっ。へーっ、オロカ、ジャンヌ・ダルクに会ったの?」
暗示郎が身を乗り出し、オロカは首を傾げた。
「い、いや? ジャンヌ何とかって、誰だ?」
「時代が、もっと前だったんですかね……それは残念……」
「残念?」
「いえ、兄上から貸していただいた『傭兵ピエール』という小説で、出てきたもので……」
「……懐かしいな」
あのジャンヌは、小やかましいが、ひたむきで愛らしかった、とドグマは思い返していた。

「で? で? シモーヌ、大人になってからは、どこで何やってたの?」
暗示郎が話題を戻すと、シモーヌは空を見て「んー」と軽く唸ってから言った。
「あっちこっち、いろいろ……最近だと、中国でチベット族弾圧への抵抗運動に加わったりとか……」
「ふーん、そうなんだー」
「ちゅ、中国ってどこだっけ? ……チベット族??」
「えっとね、オロカ……」
「あと、フセイン死んだ頃までは中東にいて、クルド人の活動家ンとこに転がり込んでて……」
「フセイン? 中東? クルド人??」
オロカには、ちんぷんかんぷんな話だった。
……あ。話題の選択、間違ったかも。距離を感じさせちゃったかなぁ……
困っているオロカを見て、暗示郎は少々悔やんだ。

「ご馳走さん」
シモーヌは料理を平らげると、リュックサックを背負い、サブマシンガンを担ぎながら立ち上がった。
「それじゃあ、行くわ。じゃあな」
気さくに、しかしどこかそっけなくシモーヌは言って、オロカに手を差し出した。
「き……気をつけて」
平凡な受け答えをして、オロカはシモーヌの手をとった。
ぐっと力をいれて、二人は手を握り合った。
シモーヌは手を離し、踵を返して歩き出した。

「……良かったの?」
シモーヌの姿が遠くに小さくなってから、暗示郎はオロカに問いかけた。
「ん……あぁ……」
……たった五人だけの、歯向かうもののない生活は、きっとシモーヌには合わないんだ。
俺とは、住む世界が違う……
そう考えながら、オロカは頷いた。
「ふーん……で、キスぐらいはしたの?」
「しっ……してねぇよ、そんな事……」
「だっらしないなぁー」
……わざわざ苦労して女の子助けに行って、それってどうなのさ。僕は苦労してないけど。
暗示郎は、呆れかえった。
「……馬鹿が」
……押し倒しても、バチは当たらん場面だろうが。
ドグマが、ぼそりと小さく罵った。
「……」
……オロカらしいと言えば、らしいですが。
三郎も、無言で苦笑していた。
 
 
 
その夜、オロカは毛布の中で、ごろごろと何度も寝返りを打った。
「……うるさい」
「す、すまん……」
同じ毛布に入っているドグマに叱られて、オロカはすっぽりと頭まで毛布にもぐった。

……あぁ……もっとシモーヌと、いろいろ話せば良かった。
別れるのは、仕方ない。基本的に人と仲良くしたい俺と、シモーヌは生き方が違うんだ。
でも……もっと、もっと、駄目元で、気持ちをぶつけて……!
嫌われるかもだなんて、恐れるんじゃなかった! もう二度と会えないかもしないのに!
一緒に暮らすかどうかなんて二の次じゃないか! 好きだと、伝えたかった!
 
 
 
「あー……眠れねぇ……」
とっぷりと夜がふけて、オロカは天井を見つめた。
オロカは、以前ドグマがピアノを弾きながら歌っていたのを真似て、小声で歌い始めた。
尾崎豊の"I LOVE YOU"を……

「──きしむベッドの上で 優しさを持ちより
きつく躰 抱きしめあえば
それからまた二人は 目を閉じるよ
悲しい歌に 愛がしらけてしまわぬ様に──」

物悲しいメロディーに、じわりとオロカの視界が涙で歪んだ。
その時、棚の上で螺鈿細工の手鏡が淡い光を放った。
オロカは涙を拭うと、迷わず鏡をひっつかんだ。
"ここでないどこか"へ、飛んで行ってしまいたい気分だったのだ。
毛布にもぐり、額に鏡を押し付けた。
 
 
 
リー、リー、と暗がりの中から虫の鳴き声が聞こえた。
サクラが樹にもたれて、こっくりこっくりと船を漕いでいた。
他に誰か居ないかと、オロカは視線を巡らせた。
月光が降り注ぎ、湖水に照り返して輝いていた。
湖のほとりで、長い髪がひるがえった。
シモーヌが、ぶらぶらと歩いていた。砂の上に、足跡をつけながら。
……シモーヌ! ……そうか! ドグマからもらった、櫛についていた鏡……!
あれは、いつも俺たちがサクラの夢に入る時使う鏡と、同じものだったんだ!
オロカは、再会の機会を与えてくれたドグマに、心の底から感謝した。

「シモーヌ!」
オロカは叫んで、駆け出した。
目を丸く見開いたシモーヌに飛びつくように、ぎゅうっと抱きしめた。
「会いたかった……!」
思いを込めて、オロカは大声で告げた。
「ば、馬鹿言ってんじゃねぇ!」
かーっ、とシモーヌの顔が、真っ赤になった。
「ひっ……ひ、ひ、昼間、会ったばっかじゃねぇか……っ!」
……可愛い。
恥じらうシモーヌの顔を、オロカは見つめた。
「き……キスとか、してもいいか……?」
「だ……駄目って言ったら、諦めるのかよ!」
……それは、いいって意味なのか? 駄目って意味なのか?
オロカには判断つかなかったが、いいや駄目元だ、と心を決めた。
「諦めない……!」
オロカは、シモーヌの唇に自分の唇を重ねた。
熱く、柔らかい感触が伝わった。

「……」
目を開けたサクラは、きょとんとして湖畔の二人を見上げた。
それから、こそこそと足音を忍ばせて、木陰に隠れた。
虫の鳴き声が、合唱のように響き渡っていた。

fin. 

 
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