第3章「家出坊主とお姫様 」

1.

三郎はテーブルの上に花瓶を置き、摘んできた草花を生け始めた。
パチンと剪定鋏で茎を切っては、慎重に一本一本差していく。
時々手を止めては体を引いて眺め、全体のバランスを確かめる。

「おりゃぁぁ!」
ツリーハウスの下から、突然オロカの雄叫びが聞こえた。
三郎はビクッと身をすくめ、弾みでメインに据えようと決めていた大きな白い花の茎を、短く切り落としてしまった。
「何事で……は?」
窓から身を乗り出し、声のした方を見下ろした三郎は、目にした光景に固まった。
「ストーン・サーバント……?」
そこに居たのは、小型の──と言っても等身大より一回り大きいくらいの、作業用のゴーレムだった。
それにオロカが組みついて、押し倒そうと頑張っている。
ストーン・サーバントは、戦闘にも使えなくはないが、しょせんは作業用。
力は強く頑丈だが、動きは鈍重で、駆け出しならともかく本来オロカが苦戦する相手ではない。
──刀を使えば。

「何、やってるんです?」
三郎は声を張り上げて、少し離れたところにある切り株に腰掛けているドグマに問いかけた。
「イエソドに相撲で負けたらしい。サクラの夢の中でな。適当な練習台が欲しいと言うから、作ってやった」
「相撲で……?」
ドグマの答えに、三郎は首を傾げた。
……確かに、イエソド兄さんは体術を修めていますけど。
プロではないんですから、本気でやれば勝てるでしょう──刀を使えば。
それじゃ、いけないんでしょうか。
格闘技に拘るにしても、まだ空手とかボクシングとかの方が、体格的にもオロカには向いているでしょう。
なんで、わざわざ──それこそ相手の土俵で戦わなくてはならないんでしょうか。
理解できない、と首を横に振ると、三郎は椅子に座り直した。

どしん。どしん。
ストーン・サーバントが歩を進めるたび、振動が伝わり、生けた草花がわずかにずれる。
三郎はイライラしながら、いちいちそれを元に戻した。
「うぉぉぉぉッ!」
「あぁ、うるさいですねぇ、もぅ」
諦めて切り上げようとした時、ずしぃぃぃん、と強い振動がツリーハウスを揺らした。
どうやら、ストーン・サーバントが倒れたらしい。
「あっ……」
花瓶が横倒しになり、転がった。三郎は慌てて、それを受け止めようとした。
しかし、彼の指をかすめて花瓶は床に落ち、パリンッと音を立てて割れた。
「あぁぁぁぁ! ひとつしかないのに!」
三郎は思わず悲鳴をあげた。
 
 
 
「──寂しがりライオン吊り橋を渡る サバンナじゃ皆に嫌われた
橋の向こうで出会ったヤツは 太陽によく似た姿だった

お前は俺が怖くないのか? 逃げないでいてくれるのか?
吹き抜ける風と共に 一度だけ頷いた

涙の理由を知ってるか 俺には分からないが
濡れた頬の温かさは おそらくお前がくれたんだ──」

BUMP OF CHICKENの"ダンデライオン"を歌いつつ、暗示郎は機嫌良く鍋を磨いていた。
トランクを片手にふわりと降り立った三郎を目にし、彼は声をかけた。
「……あれ? どこ行くの、三郎?」
「『避難所』の掃除に行ってきます。夕飯は要りません。向こうに一晩、泊まりますから」
「……行ってらっしゃい」
三郎の硬い声に、何か怒ってる?と顔色を伺いながら暗示郎は応えた。
「よろしくお願いします」
会釈するなり、三郎はトンッと地を蹴って宙に舞い上がった。

「よろしくって何を?」
呟いた暗示郎の耳に、オロカとドグマの声が聞こえてきた。
「お、重い……助けてくれ!」
「えぇい! 倒したはいいが、下敷きになる間抜けが居るか! 自力で這い出せ!」
ぽりぽりと、暗示郎は頬を掻いた。
「……ドグマの面倒よろしくね、って意味カナ?」
僕の手におえるかなぁ、と暗示郎は首を捻った。
ふと、暗示郎はドグマと二人でいる時、交わしたやりとりを思い出した。
 
 
 
「ねぇ。君って、子供の頃どんな本が好きだった?」
問われたドグマは、じっと虚空を見つめた。
たっぷり一分近くも沈黙してから、ドグマはようやく口を開いた。
「絵本なら『11ぴきのねこ』。児童書まで幅を広げるなら『冒険者たち〜ガンバと15ひきの仲間〜』だな」
「11ぴき? 15ひき? いっぱい居るのが好きなんだねぇ。どんな話?」
「『11ぴきのねこ』は、虎猫大将が10匹の黒猫を引き連れて、巨大魚を狩りに行く話だ」
「……」
虎縞の猫耳猫尻尾をつけたドグマを想像して、暗示郎はプッと吹き出した。
「何がおかしい」
「い、いや、何でも。『冒険者たち』っていうのは?」
「うむ。船乗りネズミと港ネズミが宴会をしているところに、ボロボロに傷ついた島ネズミ、忠太が助けを求めに現れてな。
臆病風に吹かれる一堂を尻目に、喧嘩は強いが世間知らずの町ネズミ、ガンバがイタチのノロイ一族討伐に立ち上がるのだ。
ガンバの男気にしびれた仲間もついていく。
その仲間も、個性的なメンバーぞろいで良かった。特に、ヨイショとガクシャのコンビが良い」
「ふーん。面白そうだね」
「うむ。擦り切れるまで、繰り返し読んだ。幾度となく、彼らを率いてノロイ一族と戦う夢を見たものだ」
 
 
 
「……ま、ドグマも可愛いところあるから、いっか」
暗示郎は呟いて、オロカが怪我をしていないか見に行こうと、鍋を置いた。

 

2.

「あぁもぅ、うるさい! うるさい! うるさい! うるさぁいッ!」
ブツブツと文句を繰り返しながら、三郎はスコップで穴を掘り続けた。
「うるさーい! 静かにしろ! 向こう行けッ!」
怒鳴りながら、すくった土を思いっきり放り投げた。
飛んでいった土が見えなくなると、三郎はドサッと腰を落として、荒く息をついた。
「おかしい、ですね……たかが花瓶ひとつ割れたくらいで、なんでこんな……」
首にかけたタオルで汗を拭きながら、ふと呟いた。
「やっぱり、ストレスでしょうか……そもそも向いてないんですよね、集団生活……」
 
 
 
三郎は、洞窟の天井から吊るされた遺骸をひとつひとつ下ろして埋めていった。
何度目かわからなくなった頃、空中に駆け上がった三郎は、不意に何かがわずかに動いた気配を感じた。
「ん……?」
三郎は振り向くと、宙を蹴って隅の方に吊るされている糸玉に近づいてみた。
さらりと、つややかな黒い絹糸のようなものが流れた。
糸玉から飛び出しているのは頭蓋骨ではなく、生身の幼い少女の頭だった。
「生き残りが、居たんですか……」
帰る前によく調べるべきだったと、三郎は軽く悔やんだ。

洞窟の外に運び出した少女を地面に横たえ、三郎は短剣で糸玉を切り開こうとした。
「これじゃ、駄目ですね……」
一本ならば糸は軽く切れても束となると歯が立たず、刀身がべたべたになっただけに終わった。
三郎は、指で空を十字に切り裂く動作をしながら、付与魔術の"風刃"の呪文を唱えた。
見えない力場をまとった三郎の指先は、プツプツと糸を断っていった。
「あ」
三郎は、小さく声を漏らした。
勢い余って、少女の着ているシャツまで切ってしまったのだ。
怪我をさせていないかと、三郎は慌てて少女の胸元をはだけた。
「……っ」
顔を赤くして、三郎は顔を背けた。
少女の白い肌はきめ細かく、すべらかだった。
「け、けけ怪我が無くて、よ、よ……
な、何、動揺してるんですか、僕は……へ、変態じゃないんですから……」
どきどきと、三郎の胸は高鳴っていた。
 
 
 
ようやく少女を糸玉から解放し、三郎はあどけない寝顔を眺めていた。
「五、六歳……というところでしょうかね」
三郎が呟くと、ぱちりと黒い目が開いた。
「あ……目が覚めましたか」
「だぁれ?」
「僕は、三郎といいます。お名前は、何ですか?」
「若菜」
「そう、いい名前ですね。日本人ですか?」
「うんとね。ママは日本人だけど、パパはモスタリアっていうくにからきたんだって」
「そうですか……」
兄上に追放された時空魔術師か何かでしょうか、と三郎は古い記憶に思いを馳せた。

「パパとママは、どこに居るかわかりますか?」
少女──若菜は乾パンをもぐもぐと噛みながら、三郎の問いに答えた。
「パパは、ぬまにおちたとき、しんじゃったの。
ママは、クモに食べられちゃった、たぶん」
「それは……すみません」
たぶん、という事は、目の前で食べられたわけではないのでしょう。
少しだけ救いですね、と三郎は考えながら謝った。
「いいの。ママ、しにたいって言ってたから」
「……え?」
無邪気な口調で告げられた事に、三郎は軽く息を飲んだ。
「しにたい、しにたいって、よる言ってたの。
若菜がいるから、しねなかったの。だから、いいの」
「……」
何と言ったものか迷っていると、若菜が、つっと三郎を指差した。
「スナフキン」
「……え。似てますか?」
「うん、スナフキン」
「それは……どうも」
スナフキンは三郎にとって幼い頃の憧れの対象であったから、悪い気はしなかった。

「スナフキン、すごろくしよう」
「……は?」
「若菜、もってる」
若菜は、ピンクのポシェットから双六を出して、地面に広げた。
「じゃんけん」
「あ、はい。じゃん、けん」
三郎はチョキを、若菜はパーを出した。
「僕からですね」
サイコロを手にしようとした三郎に、若菜は言った。
「ねぇ、もう一回しよう」
「はぁ? まぁ、いいですけど……」
今度は三郎はグーを、若菜はチョキを出した。
「ねぇ、負けたほうからってことにしよう」
「あの……もぅ、いいですよ。あなたからで。勝つまでやるなら、同じでしょう」
「若菜からねー」

三郎は、とんっと駒を置いた。
「はい、あがり、と。僕の勝ちですね」
「もう一回」
「はい、はい。もう一回ですね」

「ねぇ、もう一回」
「……もう、やめましょうよ」
単純なゲームに飽きて三郎が言うと、若菜はキーキーと高い声を張り上げた。
「イヤー! もう一回! もう一回!」
「わかりましたよ! もう一回だけですからね!」

ぐったりと、三郎は地面に寝そべった。
夕焼けが、目に痛かった。
「二時間……」
コートの内ポケットから懐中時計を出して、呟いた。
「ねぇー、もう一回! もう一回!」
「嫌ですったら、もう!」
ずっと屈んでいたので、腰が痛かった。
 
 
 
「スナフキン、なにしてるの?」
「結界です」
洞窟内の土に魔法陣を描きながら、三郎は答えた。
「けっかいってなーに?」
「いいですから、ここから出ないでください。いいですね」
「けっかいってなにー? けっかいってなにー?」
「静かにしてください! もう、寝る!」
「はぁい……」
若菜は、ごそごそと毛布に潜り込んだ。
「ねぇ、しりとりしよう」
若菜の言葉を無視して、三郎も同じ毛布に入った。
「しりとりー」
小さな手が、三郎の袖を引く。
「うるさい!」
「……っ」
三郎が大声で怒鳴りつけると、若菜は丸くなってくすんくすんと鼻をすすりあげ始めた。
しまった……
三郎の胸は痛んだ。
どうしましょう。何と言えばいいんでしょう。
あれこれ悩んでいると、若菜のすすり泣きはいつの間にか、寝息に変わっていた。

若菜のさらさらとした髪が、頬に当たる。
眠れるでしょうか……
三郎は、若菜の白い胸を思い出して、どきどきとした。

若菜の小さな足が、毛布を蹴った。
「風邪、ひきますよ……」
三郎が毛布をかけなおしてやると、また毛布が蹴られた。
「ちょ……」
毛布を被せ、押さえつけようとすると、毛布の下から思いっきり顎を蹴られた。
「いっ……つー……」
ごろんごろんごろん。
若菜は毛布から転がり出て、魔法陣を踏みかけた。
「駄目ですったら!」
三郎は若菜の足をつかみ、引きずり戻した。
「あぁっ、もう!」
意を決して、三郎は若菜を抱きかかえた。
若菜は腕の中でもぞもぞとし、三郎の胸の上に乗ってきた。
「重い……」

 

 

3.

「あ、帰ってたんだ、おはよー三郎。……何してんの?」
暗示郎は、目をこすりながら身を起こした。
三郎は、ツリーハウスの床に顔をこすりつけるようにして、這いつくばっていた。
「……あった」
三郎は床に落ちていた白い髪の毛を拾い上げると、指でつまんで目を閉じ、精神を集中した。
白い髪の毛はくにっと曲がり、ツリーハウスの外を示した。
誰々丸の髪の毛に間違いないようだった。

「ごめんなさい、暗示郎さん」
パン、と手を合わせて三郎は頭を下げた。
「何が?」
「そのぅ……その子」
暗示郎が示された方を見ると、黒髪の少女──若菜が椅子に腰掛け、ぷらぷらと足を揺すっていた。
「あ、可愛い。どこからさらってきたの?」
「さらったんじゃありません。拾ってしまったんです」
「ふーん」
「どうにかイエソド兄さんに頼み込んで、引き取ってもらいます。
ですから、その間あの子を預かってもらえませんか」
「そのぐらいなら、いいけどー……ただし、交換条件ね」
「……なんでしょう」
暗示郎は、ニコッと笑って見せた。
「僕も、『暗示郎』って呼ばれたいなぁ。オロカみたいに、呼び捨てで」
「……いいですよ」
要求されるものがその程度で済んだ事に、三郎はホッと安堵した。二人目である分、抵抗感も薄かった。

「あぁ、やっと一人になれる……」
三郎はトランクを手に立ち上がると、ふらふらと眩暈に襲われて窓枠にしがみついた。
「ちょ。大丈夫?」
「大丈夫、です。ちょっと、寝不足なだけで」
「そんな無理しなくても。少し、寝てから行けば?」
「いいんです。どうせ、寝させてもらえないんです。それより、一人になりたいんです……させてください」
「……行ってらっしゃい」
どこか切羽詰まった様子の三郎に、暗示郎はそれ以上何も言わずに見送った。
 
 
 
「お名前は、何かなー?」
暗示郎が問うと、若菜は足をぶらぶらさせたまま答えた。
「若菜ーっ」
「そう、若菜ちゃん。僕、暗示郎」
「あんじろーっ」
二人のやり取りを見て、可愛いなぁ、と思いながらオロカが続いた。
「えっと……俺、オロカ」
「オロカーっ」
またガキか、と思いながらドグマも名乗った。
「私は、ドグマだ」
「ドグマちゃーん」
「『ちゃん』は要らぁぁぁんッ!」
「ドグマちゃん、ドグマちゃん!」
若菜は、キャッキャッと笑った。
「『ちゃん』は要らんと言っておろうがぁあッ!」
「まーまーまー……」
どっちが子供かわからないなぁ、と思いながら、暗示郎はドグマをなだめにかかった。
 
 
 
半日かけて空を駆け、三郎は大きな岩の上に降り立った。
ざざざぁ、と波が押し寄せ、磯を洗って引いて行く。
三郎は、目を細めて沖に浮かぶ島を眺めた。
「結構、大きな島ですね……」
呟きながら、トランクから水筒を出して茶をあおった。
胃がムカッと跳ね上がるのを感じ、三郎は腹をさすった。
「あたたたた……空きっ腹で飲んじゃいけなかった……」
乾パンの缶をパキッと開けると、パンの臭いが漂った。
いつもなら香ばしく感じるそれも、なんだか油っこく三郎には感じられた。
何も食べたくなかったが、三郎は無理に乾パンを口へ押し込んだ。
 
 
 
「……居た」
島を覆う林の中に小さな白い人影を見つけ、三郎は地面に降り立った。
誰々丸は地面に屈み込んで、じぃぃっと何かに見入っていた。
三郎が目を凝らすと、誰々丸の足元には蝉の抜け殻が落ちていた。
邪魔をしては悪いと、三郎は佇んだまま待った。
しばらく、虫の鳴き声だけが辺りに響いていた。
たっぷり三分間は蝉の抜け殻に見入った後、誰々丸はふと顔をあげた。
「……なんじゃ。そちか」
「お邪魔して、たいへん申し訳ありません。
イエソド兄さんに用があって参ったのですが、どちらに居るか御存知ないでしょうか?」
「あっちじゃ」
視線を再び蝉の抜け殻に戻しながら、誰々丸は林の奥を指差した。
「ありがとうございます。それでは、失礼します」
「……」
返事は無かったが、別に機嫌を損ねたわけではないでしょう、と三郎はそのまま地を蹴った。
 
 
 
「これは……」
三郎は呟いた。
林の中に黒い船体の大きな船が、少し斜めになって、そこにはあった。
普通の帆船に見せかけるための帆が降ろされていたので、若干印象は違っていた。
しかし、紛れもなく三郎の記憶に残る時空船だった。
「エクリプス号……懐かしいですね」
苔の生えた甲板に降り立ち、三郎は階段を下りていった。

船室のひとつから、人の声が聞こえてきた。三郎は静かに歩いて行き、ドアをノックした。
「誰だい?」
イエソドの声に、三郎は応じた。
「三郎です。お邪魔しても、よろしいでしょうか」
「おや、三郎。いらっしゃい、どうぞ」
「はい。失礼します」
三郎はレバーを引いて、ドアを開けた。
イエソドは、本を片手に、ゆったりと揺り椅子に腰掛けていた。
その足元には、床に座り込んだり寝転がったりしている、子供、子供、子供……
「多……ッ」
三郎は、思わず呟いた。
ざっと、三十人は居ようか。

どうやら、イエソドは子供達に本を読み聞かせていたらしかった。
女の子の一人がイエソドの手から本をむしり取ると、とととっと三郎に近寄った。
「はい?」
「歌って」
見ると、それは三郎が子供の頃幾度となく読んだ、"ムーミン"の本だった。
「歌えと言われましても……」
紙面には歌詞が書かれていたが、楽譜の類は載っていない。
……無茶振りをしてくれますねぇ。
魔術の学習の一環として受けた、作曲の授業が思い浮かんだ。
三郎は、演奏は人真似で割と器用にこなせても、オリジナルの曲を作り出すという事は大の苦手だった。
彼は困りながらも、適当に節をつけながら歌詞を読んだ。
「ねむれ いとし子たち──空は黒く いくつものように──
流れ星さまよい そのゆくえをしらず──
ねむりて 夢を見──さめては 夢をわすれよ──
夜はちかく 大空はさむい──百もの子羊 大空の牧場をさまよう──」
「スナフキンだ! スナフキンが来たぁッ!」
子供達は歓声をあげて、ドドドッと殺到した。
「ひぇぇっ!」
逃げる間もなく、三郎は無数の手にしがみつかれ、押し倒された。
 
 
 
大事な話があるようだから、とイエソドが子供達を締め出した台所で、二人は差し向かいに座った。
「いやぁ、さっきはすまなかったねぇ。痛むかい?」
「大丈夫です……」
後頭部をさすりながら、三郎は答えた。
「それで、何かあったのかい。少し、顔色も悪いようだけど」
「大丈夫です……寝てないだけですから」
ありがとうございます、と一礼して。前に置かれたカップを手にし、三郎はホットミルクをすすった。
久しぶりに口にする温かく白い液体が、胃に優しかった。

「実は……折り入って、お願いしたい事がありまして」
「なんだい?」
「……」
言い出しづらく、しばらく沈黙した後、三郎は口を開いた。
「実は、その……女の子を一人、拾ってしまいまして」
「拾って『しまった』って……何、疫病神みたいに」
「いえ、その……どうにも、僕の手にはおえない子でして。あの……その……」
「うん、うん」
「災難を押しつけるようで、たいへん恐縮なのですが……」
「……」
イエソドの沈黙に胸をどきどきとさせながら、三郎はおそるおそる申し出た。
「彼女には身寄りも無いようで……えぇと、その……ひ、引き取って……いただけないでしょうか?」
「……どんな子だね」
「えぇと」
とりあえず、即座に断られなかったことにほっとしながら、三郎は答えた。
「名前は、若菜といいます。歳は、五、六歳くらいです」
「ふぅん。ちょっと古風な響きで、でも可愛くて、いい名前だねぇ」
「可愛いことは、可愛いんです。でも、その……うるさい子で」
「うるさくない子供なんて、居ないよ」
「……誰々丸さんは、落ち着いているようですが」
「あの子は、少し幼く見えるかもしれないけど、もう十二歳だし。それに、ちょっとだけ変わり者だからねぇ」
「……」
誰々丸の変わりぶりを"ちょっとだけ"で済ませるイエソドの言葉に懐の深さを感じながら、三郎は小さく溜息をついた。

三郎はトランクを開けて、スケッチブックと4Bの鉛筆を取り出した。
さっさっさっと鉛筆を走らせて若菜の似顔絵を描くと、イエソドに見せた。
「こんな子です」
「おや、可愛い。将来は、美人になるね」
「えぇ。可愛いことは、可愛いんです」
「人懐っこそうな目をしてるね」
「えぇ、困るぐらい人懐こいです」
「うん、うん」
にこにこと微笑みながら似顔絵を見ているイエソドの顔を、三郎は祈るような思いで見つめた。
「……いいよ。連れといで」
あっさりと、イエソドは言った。
「本当ですか? ありがとうござい……」
「ただ」
イエソドは、指を一本立てて、いたずらっぽく笑った。
「そのかわり、君にも少しぐらいは苦労を分かち合ってもらおうかなぁ」
「な、なんでしょうか」
嫌な予感にさいなまれながら、三郎は問うた。
「今夜、みんな寝入るまで、あの子たちの相手をしてほしいんだけどねぇ。スナフキン?」
「えぇぇッ!」
子供の大群にまとわりつかれる自分が、脳裏に浮かんだ。
三郎は、さぁっと血の気が引く思いがした。
動揺しつつも、若菜にこれからずっとまとわりつかれるのと、今日あと半日我慢するのとで、心の天秤にかけた。
正直どちらも嫌ではあったが、後者の方がずっとましだと思い直した。
「……わかりました」
「ありがとう。では、頼んだよ。私は畑に居るからね、何かあったら言ってね」
「は……はい……」

 

4.

子供達の相手をするのに一区切りつけて、三郎は食堂へと向かった。
「スナフキン、食べて!」
「これも食べて!」
料理を盛った皿が、次々に三郎の前へ差し出された。
「はい、どうも……ふぅ……」
空腹感はあったが、胃がむかついて食欲が無かった。
「食べないと、大きくなれないよ!」
「これ以上、大きくならないでいいです……」
むしろ目立つのが嫌なので、もう少し背が小さくなりたい三郎であった。
「なんでー? なんでー?」
「大きければ大きいほど、いいじゃん!」
あぁ、五分でいいから、ほっといてほしい……
三郎は、軽い頭痛を覚えながら、椅子に腰を落とした。

夕食は年長の子供達が用意してくれたので、少し楽ができた。
が、昼間中引っ張り回された三郎はへとへとに疲れ切っており、食べながら意識が何度か飛びかけた。
「スナフキン、遊ぼ!」
子供達は、そんな三郎にも容赦がなかった。
「もう寝る時間ですから、ね」
「いや! もっと遊ぶ!」
「遊ばないと、こうだぞ!」
子供達が三郎の座る椅子に取り付き、がっくんがっくんと揺さぶった。
「待って! 待ってください!」
「待つっていつまでー」
「えぇと、その……」
相手をしなくてはと思っても、ずしりと重たい体が言うことをきかなかった。
あぁ、逃げたい。逃げたい、逃げたい……
揺すられながら、三郎は頭を抱えた。
「ねー、スナフキンってばー」
……そうだ、スナフキンと言えば……
あまり人前ではやらないんですが、この際使えるものは使いましょう……しょせん、子供相手ですし……
三郎は、思いつきを口にした。
「ハーモニカを吹いてあげます。だから、寝ましょう」
狙いどおり、子供達は目を輝かせた。
「ハーモニカ! ハーモニカ!」
「スナフキンのハーモニカだ!」
「聞きたい! 聞きたい!」
あぁ、良かった……これで終わりだ……
三郎は、ずるずると椅子の背もたれに体を預けた。
「スナフキン、早く寝るよ!」
「はい、はい……」
 
 
 
船室の壁にもたれて、三郎はハーモニカを吹いた。
曲は、イングランド民謡"グリーンスリーヴス"。
神秘的で、どこか郷愁を誘うメロディに、子供達はうっとりと聞き惚れた。

「さぁ、寝ましょう」
曲が終わると、三郎は子供達に促した。
「やだ! 寝るまで吹いて!」
がくり、と三郎は肩を落とした。
……こういう反応も、予想すべきだったかもしれません……

三郎は、ハーモニカから唇を離した。
もうそろそろ、いいでしょうか。
「寝ましたか?」
十何回目かの「まだー」という返事がかえってくるかと身構えて、三郎は問いかけた。
めちゃくちゃに入り乱れて横になっている子供達からは、静かな寝息だけが返ってきた。
「よ……ようやく、解放されましたか……」
三郎はそう呟くと、鉛のように重かった体がふっと軽くなるのを感じた。
朽葉さんが言う、"本心では嫌なことを無理矢理しようとしても、ここでは体が動かない"という状態とは、これのことでしょうか。
三郎は壁に手をついて、よろよろと立ち上がった。
多少体が軽くなっても、疲れきっているのには変わりない。
三郎は足を引きずりながら、とっぷりと日が暮れた外へと歩き出した。
 
 
 
「三郎、三郎……大丈夫かい?」
イエソドの声がして、体がゆすられるのを三郎は感じた。
どうやら、いつのまにか寝入ってしまったらしい。
「大、丈夫……です」
「声が大丈夫じゃないよ、君。そこの火にかかってるのは何だい?」
焚き火の方を指さされる気配を感じて、三郎は答えた。
「煎じ薬……頭痛薬と胃薬です」
「もう、できてるかい?」
「たぶん……」
そうだ、薬を飲みませんと。
でも、起きたくない。あぁ、起きたくない……
三郎がぐだぐだしていると、すっと体の下に手が差し入れられて、抱き起こされた。
「さぁ、飲んで」
コップに注がれた煎じ薬が、唇に押し当てられた。
「ずみません……」
少し咳き込みながら、三郎は苦味のある液体を飲み干した。

「おや、これは」
イエソドは三郎の肩を抱いたまま片腕を伸ばして、彼の傍に置いてあった本を手にとった。
「『冒険者たち』か。ドグマが好きだった本だね」
「えぇ……本や玩具を、くれるといって聞かないんです。
ここでは手に入る機会は少ないでしょうから、いいと言ったんですけど。一応……選びましたが」
コートのポケットから、透き通った赤と青のサイコロを三郎は出して見せた。
プラスチック製のそれは、焚き火の光を浴びて宝石のように輝いた。
「どうしましょう。そっと、戻しておいたほうがいいのでしょうか」
「そんなことしたら、あの子達がかえって傷つくよ。好意の証だ、もらっておいてあげなさい」
「……わかりました」

「兄さん。ひとつ、聞いてもいいですか」
「いくつでも?」
「兄さんは、なぜあんなたくさんの子供達と毎日を過ごしていて平気なのですか?
一人だけとか、半日だけとかでも、これほどしんどいのに」
大人相手ですら、しんどいと思うことはあるのに──三郎は、心の中でそう続けた。
「ははは。慣れだよ、慣れ」
「慣れ……だけですか?」
「そうだねぇ。多少、コツのようなものはあるよ。例えば……そうだなぁ。
『一回だけなら付き合える』という時は、やってから『これで終わり』と言うより、やる前に『一回だけだよ』と約束しておいた方が、すんなり離れてくれやすい、とか」
「……なるほど」
「あとは、目先の事から面倒臭がって逃げない事かな」
「……」
それが大変なんじゃないですか、と三郎が思わず顔をしかめると、イエソドは笑った。
「ははは、そんな顔しない。そんな、大層な事じゃないよ。
言い聞かせるという事を面倒臭がって相手に流されると、後でツケが回って自分が大変になるんだ。
じっくりと言い聞かせれば、子供だって必ずわかってくれる。
なぜ、それは駄目なのか。どうして、今はいけないのか」
「言い聞かせる……」
「言わないと、わからないだろう? 子供に『空気読め』と言ったって、無理な話だ」
「……」
……そういえば、オロカに相撲なら向こうでやってくれと、言っていませんでしたね。
無意識に気を使って、言うのを避けてしまっていたんでしょうか。
言っても……別に良かった、はずですよね。
考えてみれば当たり前のことに、三郎は今更気づいた。

「……そうですか。わかりました。
わかりますけども……けれども、やはり一人になりたいと思う事はないのですか?」
「君は、あるのかい?」
「あります。大人相手でさえ。逃げ出したいとさえ」
「逃げちゃいけないと、思うのかい?」
「それは……」
しばらく黙り込んだ後、三郎は口を開いた。
「今の兄上には、まだしばらく集団生活が必要でしょうし……
それに、いろいろ事情はありますが……
兄上達が、この『時空の最果て』に閉じ込められたのは、一言でいえば僕のせいですから……」
「……」

しばしの沈黙のあと、イエソドは唐突に「あははははっ」と、大声で笑い始めた。
「兄さん……?」
「いやぁ、君は、昔から変わってないねぇ。器用に見えて、その実、不器用だ」
「そう……ですかね?」
「そうだよ、三郎」
ぽん、とイエソドは三郎の肩を叩いた。
「逃げていいんだよ、三郎。それは、正常な気持ちだ」
「……は?」
そんな事を言われるとは思わず、三郎は間抜けな声を漏らしていた。
「もちろんね、すべてを放り出して逃げろと言うんじゃないよ。
たまには逃げて、一人になって、ガス抜きも必要だ。
ことに、君のような一人の時間を大切にする性分にはね」
「……はぁ」
「気負いすぎだよ、三郎。責任を感じるなとは言わないけど、一人で全部背おいこまなくてもいい。
一日や二日、君がフラッと居なくなったって、大丈夫だよ。
あのオロカ君だって居るんだし。もっと、仲間を頼りたまえ」
「……」
「かくいう私も、二、三ヶ月に一度くらいは、一人で旅に出る事にしてるんだ。
最初は、あの子達にも泣かれたけどね。
今では、それが私に必要な事だとちゃんとわかって、上の子が下の子の面倒を見たりして、留守を守っていてくれるよ。
子供のあの子達にできる事が、大人のオロカ君達にできないと、君は思うのかい?」
「そう……なのですか」
そうだったのですか。兄さんでさえ、そう思うものなのですか。
だったら、僕が無理をする事はなかった。
三郎は、すっと気持ちが楽になるのを感じた。
「ありがとうございます……来て、よかったですよ……」
そうだ、あの洞窟は"避難所"ではなく、"別荘"と呼びましょうか。
そんな思いつきを最後に、三郎の意識は心地よいまどろみの中に飲み込まれて行った。
「おつかれさま、三郎」
静かな寝息を立て始めた三郎に、イエソドはそっと声をかけた。
 
 
 
翌朝、イエソドの許可を得て、三郎はエクリプス号の空き部屋の床に魔法陣を描いた。
いったんツリーハウスに戻ってから、そちらの床にも魔法陣を描いた。
これで、入り口と出口ができあがった。
"テレポート"の術を用い、三郎は若菜をエクリプス号に送り届けた。
「お友達いっぱい! ありがと、スナフキン」
若菜は人見知りする素振りも見せず、子供達の輪の中に溶け込んで行った。
それを見届け、仮眠を取らせてもらった後、彼は再び"テレポート"でツリーハウスに帰ってきた。

見ると、オロカと暗示郎が肩を並べて、三郎が置いていった"冒険者たち"を読みふけっていた。
子供みたいな読み方をしてますね、と思っていると、暗示郎が彼に声をかけた。
「おかえり、三郎。ねぇ、三郎はどのネズミが好き?」
「ただいま帰りました。そうですねぇ、シジンでしょうか。暗示郎さ……いえ、暗示郎はどれが?」
「僕はイカサマかなぁ。オロカは?」
オロカは、ページに目を落としたまま答えた。
「……バレット。
今、読んだばかりのシーンだけど、踊りでノロイと一騎打ちするなんて滅茶苦茶カッコいい。
惚れる……感動した……」
……おや、ちょっと意外な選択ですね。
三郎は心の中でそう呟き、くすりと笑った。

第4章「想像と創造の語り部たち」>>

 
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