第7章「束縛のリトルエンペラー 」

1.

「ちっ……またか」
眠りから覚めたドグマは、舌打ちした。
自分の顔がオロカの胸板に押し付けられ、背中にはしっかりと両腕が回されている。
肌に伝わる、オロカの高めの体温が不快だった。
「あぁっ……暑苦しい!」
先日はこの感触に救われた思いこそしたが、暑苦しいものは暑苦しい。
「くっ……!」
小さなドグマから見れば丸太のようなオロカの二の腕に手をかけ、力を振り絞って持ち上げる。
足をじたばたとさせ、生じた隙間からドグマは抜け出した。
「ふぅ……」
寝汗で服がべったりと肌に張り付き、気持ち悪かった。
「汗を流してくるか……」
 
 
 
籠から着替えとバスタオルを出し、代わりに汗で湿った服を放り込んで、ドグマは裸でざぶざぶと湖に入って行った。
朝の湖水は少々冷たすぎたが、心地よかった。
水の底を蹴り、湖の真ん中に向かってドグマは泳ぎ始めた。
前方から小魚の群れが泳いできて、ドグマの左右に別れて過ぎ去って行く。
魚になったような気分がした。

「んっ……!?」
一瞬、大きな魚の群れが近づいて来たのかと思った。
しかしそれは、無数の白い手だった。
「がふッ!?」
水を飲んでしまい、ドグマは咳き込んだ。
無数の白い手が、全身に絡みついてくる。
慌てて身を引き起こそうとしたが、手も足も動かなかった。
「ごふッ! がぼッ! うぼぁッ!」
咳が咳を呼び、水が鼻や口から侵入しては、また咳き込む。
水面から顔をあげる、たったそれだけのことができずに、ドグマは苦しみ、あえいだ。

目の前がすうっと暗くなりかけた時、ドグマは突然両脇をつかまれ、水の上に引き上げられた。
誰かが来てくれたのか、と咳き込みながら見たが、知らない男の髭顔が二つ並んでいた。
「おい、小僧。なに、こんな浅いところで溺れてるんだ。足でもつったのか」
「小僧ではない……訳あって、魔術でこんな成りをしているだけだ」
いつの間にか、白い手は見えなくなっていた。
ドグマは体を動かそうとしたが、まだろくに動いてはくれなかった。
「くっ……。私の名はドグマ。助けてくれた事は、感謝する。
ついでに、仲間のところへ連れて行ってもらえると、助かるのだがな……礼はする」
男達は、顔を見合わせた。
「ドグマ……だと? まさか、エイリアスか……?」
「その名で呼ぶでないッ! ……おまえ達は、モスタリア人か?」
「あぁ。まぁ、住んでいたのはガキの頃だけで、それからはモスタリアを港の一つにしていただけだが」
「時空商人か」
「元、な」

男達はドグマを抱えて水から上がると、彼を地面に下ろした。
自由のきかぬ足は体重を支えてくれず、ドグマは地面に倒れこんだ。
「おい。まったく、どうしたんだ。腰でも抜かしたのか」
「……動かんのだ、体が。じきに良くなろうが……」
「何だか知らんが、そんな病気持ちでよく一人で泳いだりするな」
「……仕方あるまい。発作を起こすのは、これで二度目だ。また起きるものなのかどうかも、わからなんだ」
「そうかい。そこに出ているのは、おまえの着替えか?」
「うむ」
男達はバスタオルでドグマの体を拭くと、服を着せてくれた。
「手間をかける……つッ」
無理矢理曲げられた、こわばった腕や肩の関節が痛んだ。
「も、もう少し、ゆっくり……あぐッ!」
ぎゅうぎゅうと押し込むように、腕が袖に通された。
「ゆっくりやったって、痛いもんは痛いだろう。さっさと済ましちまうぞ」
「うぅぅ……」
一理ある事ではあったし、あまり泣き言も言いたくなかった。
ドグマはそれ以上文句を言わずに、痛みに耐えた。

服を着せられ終え、はぁはぁと息を荒げているドグマに男は尋ねた。
「それで、仲間っていうのはどこに居るんだ?」
「そ……それは……」
ドグマは、問われるままにツリーハウスの位置を教えた。
「そうかい、そうかい……」
男は頷きながら、背負っていたリュックサックを下ろし、蓋を開けた。
「じゃあ、俺達が連れて行ってやろう」
「……なんのつもりだ」
男の手には、縄が握られていた。
「なんのつもりって……なぁ?」
「いつまた動けるようになるか、わからないじゃないか、なぁ?」
男達は、下卑た笑いを交わし合った。
男の一人がドグマの手首を合わせ、もう一人が縄で縛り上げた。
「……貴様ら、殺されたいらしいな」
「自分が殺される心配をするんだな」
男達は御丁寧にドグマの指まで紐で結び合わせ、足首を縛ると、顎をこじあけて口に猿轡をかませた。

 

2.

「雨、上がったようですね……今日は、何をしましょうか」
「んー、チキンの香草焼きが食べたいなー」
「じゃあ、鳥でも獲りに行きましょうか」
「わーい♪」

三郎と暗示郎の話し声を聞きながら、オロカは身を起こした。
「おはよう……」
「おはよー!」
「おはようございます」
「あれ……またドグマが居ないぞ」
探った毛布は、手応えがなかった。
三郎は室内を見回し、言った。
「籠が無いですね。湖でしょうか」
「誘ってくれりゃいいのに……俺も行ってくる」
……水の中で、あの発作が起きたりしたらどうすんだ。
オロカが身支度を始めようとした時、三人の頭の中に念話が響いた。
『不覚を取った。招かれざる客に捕らえられた。男が二名。片方、あるいは両方、時空魔術師。
今からそちらへ向かうようだ』
三人は無言で視線を交わし合うと、急いで身支度をした。
 
 
 
縛られたドグマの首筋に短剣をつきつけて、二人の男が姿を表した。
「やい、てめぇら! 子供を盾に取るとか、恥ずかしくないのか!」
刀を手にオロカがいきりたって言うと、男達はにやにやと笑いを返した。
「本人は、子供じゃないと言ってるぞ」
「それもそうか……じゃ、なくって! 人質が欲しいなら俺が代わってやる、とっととドグマを離せ!」
「誰が離すか。体は子供でも、最大戦力だろうが。
さぁ、まずはその物騒な玩具をこっちに投げてよこせ。それに……」
男は、何も無いように見える場所を指差した。
「そこに、誰か隠れているだろう。魔力を感じるぞ、出て来い!」
「……やはり、無駄でしたか」
姿を消していた三郎が、帽子のつばをつまんで現れた。

「ウィローか。一緒に居るとは思わなかったな。兄弟不仲じゃなかったのか」
「……三郎、とお呼びください。貴方がたの顔には、見覚えがありますね。
イエソド兄さんの下で、モスタリア維持の集団儀式に参加した事があったでしょう。
確か兄弟のコンビで、名前は確か、サラ……?」
「サラーフだ。そっちがディーンだ」
男が、ドグマを抱えている方の男を顎でしゃくって見せて言った。
「それで、時空商人から山賊に転向されたわけですか、サラーフさん、ディーンさん。
『最果て』に落ちたら、落ちるところまで落ちたんですね。
時空商人の誇りも、沼にでも落としてこられましたか。
それで二人合わせて『サラディン』ですか……なんという、すばらしい御名前でいらっしゃるのでしょう。
その似つかわしさたるや、思わず笑いがこみあげてしまいます」
三郎は、十字軍を退けたイスラムの英雄の名をあげて薄笑いを浮かべた。
「やかましい! 生き延びるためには、誇りがどうのと言ってられるか!
それより、さっさと刀をよこせ! それに、おまえは全ての術を封印してもらおうか!」
「……いいでしょう」
三郎は、ちらりとオロカに目を向けた。
オロカは歯噛みしながら、刀をぶん投げた。
それから、三郎はゆっくりとサラーフに向かって歩いて行った。
一瞬、ドグマと視線が合った。
ドグマの目は、怒りと苛立ちに燃えていた。
『落ち着いてください。何て事はありません』
三郎は念話を送ったが、返事はかえってこなかった。

目を閉じて呪文の詠唱を終えると、三郎はまぶたを上げてサラーフを見やった。
サラーフはオロカの刀を手にし、その切っ先で三郎の額にX印を刻んだ。
三郎は痛みをこらえて、じっと無表情でサラーフを見つめていた。
封印が終わると、サラーフはいきなり膝で三郎の腹を蹴り上げた。
「ぐっ……」
三郎は、思わず腹を抱えてしゃがみこんだ。
すかさず頭上から足が降ってきて、三郎の後頭部を踏みつけ、地面に接吻させられた。
「何しやがる、てめぇ!」
かっとなって、オロカが足を踏み出しかけた。
「……手を出さないでください」
静かな口調で三郎に制止され、オロカは地団駄を踏んだ。
「術さえ封じれば、貴様なんぞただのうらなりだ! そのスカした面が気にいらねぇんだよ!」
ぐりぐりと、かかとが三郎の後頭部に捻じ込まれた。

「さて、飯でも食わせてもらおうか。毒なんか入れたら、ただじゃおかないぞ」
三郎は、パンッと帽子の土を払って被り直した。
「食材の調達に行ってもよろしいですか。昨日は雨だったので、あまり蓄えが無いんですよ」
「いいだろう。キリキリ働け、奴隷」
「……行きましょうか。オロカ、暗示郎」
無表情に言って、三郎は歩き出した。
オロカと暗示郎が、慌ててその後を追った。

三郎の額の傷から血が顔を伝い、ポタッと顎から滴った。
「だっ、大丈夫、三郎? キズ治そうか?」
暗示郎が、三郎の背中に声をかけた。
「……」
不意に、三郎は二人に背を向けたまま立ち止まった。
「フッ……フフフ、フフフフッ……」
氷点下の笑い声に、オロカと暗示郎は固まった。
「そうやすやすとは、殺してさしあげませんよ……どうしてくれましょうか、ウフフフフ……」
「さっ、三郎が壊れた!?」
暗示郎が、小さく悲鳴をあげた。
……怖ぇ。
オロカは、声に出さずに呟いた。

3.

暗示郎が丁寧に料理した山鳥の香草焼きを、サラーフとディーンはガツガツと食い散らかした。
その間も交代でドグマの首筋に短剣を突きつけ、隙は無かった。
……ちぇ。美味しそう。
楽しみにしていたのに、暗示郎が口にできたのは毒味させられた一口だけだった。
彼の腹の虫は、くぅっと音を立てた。
「おい、せめてドグマには食わせろよ」
ムカッ腹を抑えて言った、オロカの言葉は無視された。
「夕飯には、獣肉を食わせろよ。鹿とか猪とか」
「いい加減にしろよ。いつまで居座る気だ」
はっ、と二人は鼻で笑った。
「おまえらが、鼻血も出なくなるまでさ」
 
 
 
日が暮れると、サラーフとディーンは魔具の類を全て没収して言った。
「おまえらは、外で寝ろ」
そうして、ドグマを抱えてツリーハウスへ登って行った。
ちらりと、オロカと暗示郎は三郎を見やった。
……まだです。
小さく、三郎は首を横に振った。
縄梯子がするすると、上げられていった。
……これで無力になったと思うのが、間違いですよ。
三郎は目を細めて、ツリーハウスを見上げた。

ツリーハウスの中──
サラーフが毛布を被って横になり、ディーンはドグマを椅子に座らせて自分も隣に腰掛けた。
「真夜中を回ったら交代するから、起こせよ」
「あぁ」
サラーフはすぐに、寝息を立て始めた。
ディーンがふと横をみると、焼けつくような目でドグマが彼をにらみ上げていた。
「ふふっ、そう怖い顔をするな。大事な人質だ、おとなしくしてれば、いたぶりゃしない」
「……」

「……ん?」
ディーンは、顔をあげた。
ミシッという、かすかな軋み音が床から聞こえた。
「何だ……?」
腰を上げて耳を澄ますと、そこら中からブツッ……ブツツッ……と、何かが引き千切れる音がした。
「兄貴……」
大声をあげてサラーフを起こそうとしたその時、突然床が抜けて宙に放り出された。
「うわぁッ!?」
床の木材と共に落下し、地面に叩きつけられた。
「いつっ……な、何だ?」
衝撃で目を覚ましたサラーフが、目をこすりながら間の抜けた声を出した。
二人が立ち上がる間も無く、今度は天井の木材が降ってきた。
「ぎゃあぁぁぁ!」
「ぎぇぇぇぇ!」
ガラララララッ!
二人は木材の下敷きになった。
月明かりで、鉈を片手に木の枝からぶらさがっている三郎が、すうっと薄笑いするのが見えた。
木材をまとめるロープ、木材を樹に固定するロープ。
彼はツリーハウスが一気に全壊するよう、それらに巧妙に切れ込みを入れたのだ。
「い、家ごとぶっ壊しやがったァ!? 女みてェな顔して、なんて奴だ!!」

「うぐぐ……」
体にのしかかる木材を押しのけようと、サラーフとディーンは手に力を込めた。
『甘いキャンディ、ほろ苦いチョコレート。天使の羽、悪魔の尻尾。
どれを選ぶ? どれを選んでも、天国への片道切符!』
暗示郎が呪文を唱え、両手に金色に輝く輪が生じた。
「やべぇ、伏せろ! 『サブリミナル・リング』だ!」
「えいっ♪」
シュイィィン、と風を切って、二つの金の輪が飛来した。
木材の影に身を隠したディーンは無事だったが、サラーフの体を金の輪が捕らえ、彼はぼんやりとした表情を浮かべた。
……へへん、どうだい。無詠唱ではまだ無理だけど、ちゃんと呪文を唱えれば魔具無しでも行けるもんね。
暗示郎は心の中で舌を出すと、合図を送った。
「オロカぁ、後、任〜せた!」
「おうっ! おりゃあぁぁぁ!」
オロカは、突進した。ジャンプして木材を跳び越え、その勢いのまま手にした薪を振り下ろした。
「ぎゃあぁぁぁ!」
ガツンッと頭を殴られて、ディーンは昏倒した。
 
 
 
木材と木材が噛み合ってできた隙間に、ドグマの小さな体は転がっていた。
三郎はドグマを引きずり出すと、縄や猿轡を外した。
「手荒な真似をして、申し訳ありませんでした。お怪我は、ありませんか?」
「たいして、無い」
ドグマは、短く答えた。
そして、打った腰をさすりながら、つかつかと縄で縛り上げられたサラーフとディーンの元に向かった。
びくびくと首を縮める二人を一瞥し、屈んで手のひらでバンッと地面を叩いた。
『物言わぬ土塊よ、我は汝に生命の息吹を与えん!』
ドグマの唱えた呪文に応じて、むくむくっと土が盛り上がっていき、巨大な人型を成した。
「ふははははッ! よくも、私の弟を足蹴にしてくれたな!」
「ぎゃあああああッ!」
「ぐはあああああッ!」
クレイ・ゴーレムの重く大きな足が、サラーフとディーンを踏みつけた。

狂ったように哄笑しているドグマを見て、オロカと暗示郎はブルッと身を震わせた。
「なんで、笑うんだよ。怖ぇよ」
「やっぱ、あの二人……兄弟だね」

4.

四人は焚き火を囲んで、暗示郎の焼いたピッツァをかじっていた。
三郎は食べながら、封印が解かれ傷も癒された額に、軽く指で触れていた。
そんな仕草を見ながら、オロカは言った。
「終わってみると、あっけなかったな」
三郎は、さらりとその言葉に返した。
「魔術師というのは、不意打ちや、息もつかせぬ連続攻撃には弱いものですよ。
たとえそれが、兄上ほどの実力者であってもです」
「……ふん」
ドグマが、少々不満げに鼻を鳴らした。
「あの程度で僕達を無力化できたと思い込んで、自分から死角の多い場所に入り込んだ彼らが間抜けなんです」

暗示郎は、木材の山と化したツリーハウスを振り返って言った。
「しっかし、派手に壊しちゃったね、せっかく作ったのに……」
「何回でも、作り直せばいいですよ。組むだけですから、前より楽です。それに……」
「ん?」
「あんな連中に汚された家には、住みたくないです。厄払いできて、丁度いいですよ」
「……おまえって、見えない物に潔癖性なのな」
オロカが言うと、三郎は少し笑った。
「面白い表現ですね」

保温とクッションのために、四人は落ち葉を集めて地面に敷き詰めた。
三郎が、侵入者に反応する結界を張った。
それからツリーハウスの残骸から引っ張り出してきた毛布にくるまって、四人は焚き火の周りに横になった。
しばらくして皆が寝息を立て始めてから、ドグマはそっと寝床を抜け出した。
木材の一つに腰をかけ、木陰の合間から見える星空を眺めた。
「……いい加減、足手まといから抜け出したいものだ」
脆弱な子供の体。"自分アレルギー"による発熱。PTSDと思われる症状。加えて、昔からの神経障害──
本来の力を発揮させてくれない、いくつもの身を縛る鎖。それを思い、ドグマは苛立った。
病気だから仕方ない、などと一言で割り切れぬものがあった。
「くそ……この、がんじがらめの鎖を断ち切れたら、どれほど……!
いや……考えるな。考えてはならぬ。思いつめると、またアレルギーで熱を出す……!」
ぐしゃぐしゃと、自分の髪をかきむしった。

「……む」
脇の方で、何かがほのかに輝くのを、ドグマは感じた。
立ち上がって歩み寄ると、それは螺鈿細工の手鏡だった。
「……サクラか」
ドグマは鏡を拾うと、オロカの隣で毛布に潜り込み、鏡を額に押し付けた。
 
 
 
ドグマが目を開けると、大きく飾り気の無い三階建ての建物が見えた。
周囲には遊具や花壇があり、どうやら小学校の中庭らしかった。
自分の体を見下ろすと、大人のそれに戻っており、動きやすそうなジャージを身につけていた。
「……なんだ、この安っぽい格好は。体育教師か? ……まぁ、いい」
トンッ、トンと地面を確かめるように軽く跳躍すると、腰を低く構え、宙に向かって回し蹴りを放った。
ズボンの裾が風を切って、ビュッと鋭い音を立てた。
「やはり、このサイズは良いな」

物音を感じて、ドグマは中庭の隅にある、金網を張り巡らされた大きな小屋に近づいて行った。
小屋の中には、真ん中に葉のない木が立てられていた。
上の方にはたくさんのセキセイインコが飛んだりとまったりしており、コンクリートの床にはチャボの雌鶏が三羽、歩いていた。
そして人影──
体操服を着た、サクラとエラー。
それに、頭へシルクハットのように大きなビーカーを乗せ、マスクをした、肌の真っ黒な奇妙な少年。
その三人が、デッキブラシで鳥の糞だらけの床をこすっていた。

バサバサバサッと羽音を立てて、チャボにしては大柄な雄鶏が床に降りてきた。
ドグマからは見えなかったが、木の上の方にとまっていたのだろう。
とたんに、サクラ達の動きが非効率的なものになった。
雄鶏が歩くたび、びくびくと遠巻きに迂回し、離れたところを掃除する。
傍から見ていると、滑稽であった。
……なるほど、嘴も蹴爪も立派だ。ガキ共が恐がるのも無理はない。
しかし──美しい。
顔つきはいかめしく、眼光鋭く、羽根はつややかな茶色。
黒に近い焦げ茶色の尾羽は逆流する滝のように天に噴き上げ、光を浴びると緑色の反射光を放った。

雄鶏は、まだ掃除を終えていない場所に座り込んでしまった。
三人の少年は、困った様子で視線を交わしあった。
やがて、しぶしぶと一番大きいエラーが、へっぴり腰で雄鶏に近づいていった。
床にブラシをかけるエラーを、雄鶏は無視していた。
調子づいたのか、エラーは恐る恐る手を伸ばして、後ろから雄鶏に触ろうとした。
「コケーッ!」
雄鶏は甲高く鳴き、エラーに向かって突進していった。
「ごっ、ごめん! ごめん!」
謝りながら、エラーは退いた。が、雄鶏は許さず、嘴で軽く足をつつきながら彼を追い回した。
「痛い! やめて! キャー!」
女のように悲鳴を上げて、エラーは小屋の外まで逃げて行った。
エラーを追い出した雄鶏は、フシュッと鼻を鳴らし、また悠々と歩き出した。
見ていたドグマは、ニヤッと笑った。
……美しいだけでなく、なかなか誇り高くて賢い奴じゃないか。
世話係を下僕としか思っておらぬのみならず、ちゃんと手加減までしている。

ドグマは二重扉を開けて、小屋に入って行った。
外で見ていたドグマに気づかなかったらしく、サクラと奇妙な少年は驚いた顔をした。
ドグマは彼らに構わず、まず大人しそうな雌鶏を一羽、むんずと捕まえた。
そのまま小屋の外に出して放すと、雌鶏は足で地面を掻き、嘴でつつき始めた。
逃げ回ったりしないのを確認すると、ドグマは再び小屋に戻った。
そして、正面からつかつかと雄鶏に近づいていった。
自分を恐れない人間を始めて見たのか、雄鶏は当惑したようにゆらっと首を横に揺らした。
がっしりと両脇から手で抑えると、雄鶏はコッ!?と短く鳴いた。
「知っているぞ。おまえはこんなコンクリートの床より、引っ掻き回せる地面の方が好きだろう」
持ち上げられても雄鶏は案外暴れたりせず、じっとしていた。
外に連れ出し、地面に近づけた。
「思う存分、遊ぶがいい。ただし、逃げるなよ?」
わかった、わかったと言いたげに、雄鶏は両足で地面をガリガリ掻いた。
「よし」
ドグマは、手を離した。
雄鶏は豪快に土を飛ばして地面を引っ掻き、雌鶏とのパワーの差を見せつけた。
やがて小さな地虫を見つけると、嘴でとらえて飲み込んだ。
ドグマは、その様子を満足そうに眺めていた。

頃合いを見てドグマは雄鶏を抱き上げ、左腕の上に乗せた。
何気なく腕を上下させると、雄鶏は羽をバタバタとさせてバランスを取った。
「芸というより癖だろうが、意外と愛嬌のある奴だな。……ん?」
ふと、ドグマは視線を感じた。
金網に張り付くようにして、奇妙な少年がじっと見上げていた。
「……何だ?」
「き、君。恐くないの?」
「恐がる必要などない」
「そ、そそそんなに顔のそばに寄せて、目でもつつかれたらどうするの?」
「こいつは賢い。そんな事をすれば自分の身がどうなるか、わかっている」
「な、なんで、わかるの? こ、言葉も通じないのに」
「言葉など交わさずとも、見ればわかる」

ドグマは雄鶏を腕に乗せたまま、小屋に戻ろうとした。
その時、金網にくくりつけられている小さな黒板に気がついた。
そこには、チョークで翌日の日付と、"白色レグホン×5 入荷"という文字が記されていた。
「何? これはひょっとして、新しく鶏を入れるという意味か?」
……何という、残酷な事をするのだ。
ドグマは、眉根を寄せた。
……こいつもチャボにしては大きいが、それでも白色レグホンといえば倍はある。しかも五羽。
いくら気が強くとも、かなうまい。どうあがいても、埋めようもない差だ。
今のように悠々と歩いてはおれず、隅の方で小さくなっているしかないだろう。
小屋の中に自分より小さい雌鶏とインコしか居なければ、世界の王者とも思おうに。
そこから容赦なく、突き落とすというのか。

しばらく考えて、ドグマは決断した。
空いた手を伸ばして、地面をつついている雌鶏を捕まえた。
「おい、ガキ共。手を貸せ。雌鶏を一羽ずつ、連れて来い」
金網ごしに声をかけると、奇妙な少年は縮み上がった。
「やっ、やだよ。恐いよ」
「雌鶏は、どう見ても大人しいだろうが」
「で、でも……」
「私に蹴り倒されるのと、どちらが恐いのだ」
サクラと奇妙な少年は、顔を見合わせた。
やがてサクラは意を決して、こわごわと雌鶏を捕まえた。
それを見て、奇妙な少年もしぶしぶ手を伸ばした。

ドグマは歩いて行き、小学校の隣にある神社の森に入って行った。
「行け!」
左腕を大きく振り上げると、雄鶏は振り向きもせずに飛んで行った。
「……いいの?」
サクラが問いかけた。
「あいつなら、餌をあてがわれずとも自力で生きていける。
たとえ野垂れ死のうと、猫に食われようと、本望であろう」
サクラと奇妙な少年は視線を交わしあうと、抱いていた雌鶏を投げた。
ドグマも、右腕を振り上げた。
三羽の雌鶏は、雄鶏を追うように飛んで行った。
「おじさん、優しいんだね」
サクラが言った。
「優しくなどない。当然の事をしたまでだ」
 
 
 
ドグマは目を開けた。
また、オロカにぎゅっと抱きつかれていた。
ドグマは舌打ちしたが、そのまま目を閉じた。
ツリーハウスの中よりは冷えを感じたし、何より振り払うのが面倒だった。

第8章「原色と中間色の剣舞 」>>

 
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