Can the kitten catch the moon ?

 「ちょっとドグマ!聞いてくれる?」
突然、私の執務室の扉が開き、ゆるい巻き髪をした背の高い女が入ってきた。
最高級の絨毯の上をヒールの音が聞こえそうな勢いで歩いてくると、荒々しく応接ソファに座り、すらりと伸びた足を組んだ。
女 - 朽葉の突然の訪問は、昨日今日に始まったことではない。時折フラリと私のステージ『伸びるビル』に立ち寄り、雑談や議論をして、満足したら再び去っていく。本当に気まぐれで、刺激的な女だ。

 朽葉や私は、「マインド・パペット」と呼ばれる精神世界の住人だ。
一人ひとりの心の中に「ステージ」と呼ばれる場所を設け、そこに住んでいる。
私のステージは『伸びるビル』。砂漠に立地するコンビナートだ。
穏やかに晴れ、工場も稼動していない今日は、この最上階の執務室から遠くにある港湾地帯まで一望できる。

朽葉はセンターテーブルの菓子器の中からグミをつまむと、口紅を塗った肉感的な口の中に放り込んだ。
こめかみに力が入っているのは、硬いグミの為だけではなさそうだ。
話が長くなるのを予想して、キャビネにあるコーヒーのストックを思い出す。確かモカのNO.9があったはずだ。
もっと気分がよい日にゆっくりと味わいたいが、風味が落ちる前に飲んでしまおう。
コーヒーでいいか?と尋ねると、ブラックで、とぶっきらぼうな答えが返ってきた。
やはりご機嫌斜めのようだ。彼女がブラックコーヒーを飲む時は、頭をクリアにさせたい時だ。
隣の給湯室からサイフォンを持ってくると、菓子器を少し脇にどけ、センターテーブルに置いた。
彼女が気に入っているマイセンのカップを飾り棚から取り出し、給湯室で軽くすすいで拭く。
下部のフラスコに水を、上部の漏斗に豆を入れて、アルコールランプに火をつけた。
準備を終え、私が向かいに座っても、彼女はずっと無言だ。 

 「彼が、電話をくれないの」
フラスコの中に気泡ができてくるころ、ランプの炎を見つめながら、彼女がポツリとつぶやいた。
「例の『哲学書の君』か。」
朽葉が小さくうなずいた。
『哲学書の君』とは、朽葉がよく行く図書館で出会った男だ。
切れ長の目の、ひょろっとしたのっぽで、穏やかだけど神秘的な笑顔が素敵だと、朽葉が言っていた。
書架の高い場所にあった本をとってくれたのが縁で意気投合し、併設のカフェで2時間ほど東洋哲学と近現代の心理学の関係性について熱く議論を交わしたらしい。禅をベースにした独自の理論を展開する頭の良さと、全てを包むような柔軟な思考にほれ込んで、連絡先を交換したそうだ。

 そう聞くとロマンチックに聞こえるが、おそらく朽葉が無理やり議論を吹っかけて連行したのだろう。
男のほうも、のらりくらりと2時間も、よく付き合ってやったな、とは思う。
朽葉と"チャネル"が繋がって早数年。何度も舌戦を繰り返してわかったのだが、冷静で理論的、相手を論破することに愉悦を覚える『鉄の淑女』も、恋愛については、からっきし『夢見るお姫様』なのだ。お花畑に飛んだ脳みそは全てを都合のよい方へ変換し、論理の破綻を見逃さない目はピンクの霞で曇る。相手をねじ伏せる鞭のような言葉は甘く物憂げな吐息に変わり、勝気なしぐさもどことなくしおらしくなる。
この豹変振りには毎度理解に苦しむのだが、"物狂い"とはこういうものか、と、最近になってようやく受け入れられるようになった。

 「電話してもメールしても、返事が来ないの。どうしよう、私、…」
「心配しすぎだ。」
「でも!それまでは毎日何通も…っ」
彼女が唇を噛んだ。
熱を上げているのは良く分かるが、無関係の私でも引くくらいの執念で挑むのはいささか問題なのではなかろうか。
大方今回も、1,000文字を超えるような長文メールを毎度送っているのだろう。
まだ付き合う段階まで至ってないはずだが、これでは重過ぎる。

 「私、何か気に障るようなこと言ってしまったのかしら。
  彼が運命の人だと思うの。だからもっと深く知りたいのに…」
ポコポコと水が沸騰する音が聞こえる。
下のフラスコから湯が上がってきて、漏斗の豆がふんわりと泡立った。
漏斗の中をゆっくりとかき混ぜるとコーヒーのよい香りが広がってきた。
「運命の相手、か。それは、幽霊みたいなヒキコモリのときにも言ってなかったか?
『か弱い彼を守ってあげたいの』とか言って、3ヶ月で『暗すぎて無理。』って別れた奴だ。
後でストーカーになって大変だった。おまえに頼まれて家まで送ってやったら、恋敵だと勘違いしたのか、包丁振り回して暴れたんだった。全く、あの時は肝が冷えたよ。」
「今回はそんなのじゃないわ!
 すごく優しくて、頭がよくて、ステキな方なの。」
「『優しさ』?それは何を指しているんだ?
 書棚の本を取ってくれたら優しさなのか?
『来来軒』っていただろ?バーでナンパしてきた男だ。
『寡黙でミステリアスな男だ』って有頂天になって、何度も通って電話番号を教えてもらったはいいが、その番号は、全く関係の無い中華料理屋にかかったんだった。『ミステリアス』っていうのは、深入りしたくなかっただけで単にお前と一晩遊びたいだけだった。
そいつの優しさも、表面的なものでないとどうして分かる?」
 
 私はランプにガラスの蓋を被せて、火を消した。一瞬の間の後、真空になったフラスコにコーヒーが滴り落ちる。
「なぁ、朽葉。
 今までの『運命の男』ってのは、相手の都合のいい部分を寄せ集めて、お前の妄想で固めただけの張りぼてばかりだったじゃないか。
今度はそうじゃないって、ちゃんと論理的に、客観的に、説明できるんだな?だから『運命』なんて口にできるんだよな?」
私が冗談めかして朽葉を煽ると、彼女は金に輝く目を細めて睨み返してきた。
そう、その目がたまらない。彼女には、その獰猛な瞳がよく似合う。 

 ハント対象を見つけた朽葉は、急降下を仕掛ける鳶だ。相手の全てを我が物にしようと、相手の領域へ、まっすぐ深く突っ込んでいく。当然、まともな獲物は驚いて逃げ、頭もカンも悪い男か、あえてハントされてうまい汁を吸うことを考えているクズしか残らない。
前者に関しては、朽葉がハナにも引っ掛けないからまったく問題が無い。問題は後者だ。
ミュージシャンの卵から宗教家くずれまで、よくもまぁ探してきたものだと思うくらい、個性豊かな男性遍歴を持っている。
気をつけろ、といっても聞きはしない。
朽葉は私に、『男性目線での意見を聞きたい』と度々相談してくるが、アドバイスしても柳に風。恋の病につける薬は無い以上、ツキモノが落ちるまで黙って話をきいてやるより、『男友達』として、手助けをできることはない。
しかし、私だって心配なのだ。
恋に傷つき、意気消沈した姿は痛ましいものだし、第一、これだけクズを寄せ集めていたら、そのうち無用な事件に巻き込まれないとも限らない。『哲学書の君』とはそんなことにならないと思うが、取り返しがつかなくなる前に、見る目を養って頂きたいものだと切に願っている。

 『そんなに気になるなら、自分のものにすればいいじゃないか。君らしくない。』
そんなことをイエソドに言われたこともあったが、生憎私にも好みがある。
朽葉は、顔はそう悪くはないしスタイルだっていい。ただ、濃いコーヒーは偶に飲むから良いのであって、四六時中飲んでいたら胃を壊す。私にとって、朽葉は『刺激物』であり、『嗜好品』なのだ。日常に置くなら、もっと大人しく家庭的な女性を選びたい。

 バン!と机を叩いて朽葉が立ち上がった。
「うるさいわね!
『論理』だの『客観』だの!!この冷血漢!
どうせアンタは『仕事が恋人』じゃない!右手の"JOB"で十分なんでしょ!この早漏!
あんたみたいな、女心がわかんない奴に相談したのが間違いだったわ!」
「なっ!おまえ、淑女らしくもう少し品のあることをだな…」
「知らない!帰る!」
振り向いた朽葉の目元は、化粧が崩れてグシャグシャになっている。
鼻をかんだ時におしろいが取れたのか、顔色もまだらだ。流石に苛めすぎたかもしれない。

 「朽葉」
私はフラスコをとり、カップの中に淹れたてのコーヒーを注いだ。
「私への『相談』はしなくていいのか?私は、まだ、おまえの状況しか聞いていない。
おまえが何を求めているのか知らないが、私に話をしに来たんだろ?
折角コーヒーも淹れたのに、もう帰るのか?」
足が止まり、半歩、後ずさった。彼女は『無駄』が大嫌いだ。特に『時間の無駄』は。
「せめて、気持ちを落ち着けてから出て行ってくれ。
そんな顔で私のステージから出ていったのが分かったら、イエソドに"チャネル"を切断されかねん。」
ようやく自分の顔の惨状を認識した朽葉は、はっとして顔をおさえた。
我々のステージ間は、"チャネル"と呼ばれる通路で結ばれている。他のパペットや顕在意識との意思疎通や、無意識からの力の供給は、全てこのチャネルを通して行われている。文字通り生命線であるチャネルを管理しているのが、イエソドと呼ばれるパペットだ。
仏頂面で再び席に座りなおし、一口、熱いコーヒーを飲んだ。

 鼻に抜ける芳醇なアロマで気持ちを切り替えたようで、私に向き直った目は、攻撃性を薄めまっすぐ私を見つめ返してきた。
「…あの人のことを知りたい。あの人に、私のことを好きになってほしい。
 どうすればいいと思う?」
「そうだな…」
私も自分のカップにコーヒーを注ぎ、一口飲んだ。

 朽葉は知らないと思うが、『哲学書の君』と私は知り合いだ。
苛烈な朽葉に対し、物静かでおとなしく、はっきりさせたい朽葉に対して、あいまいなままを好む。朽葉が追いかければ追いかけるほど、あいつは逃げていくだろう。だからより、朽葉は追いかけたくなる。いつか、追われる相手も追う朽葉も疲弊する。要するに、相性が最悪なのだ。
双方のためにも諦めろ、と言ってやりたいものの、それでは納得しないだろう。
彼女は欲しいものは必ず手に入れる主義だ。手に入れて、隅々まで分解して、骨のひとかけらまでしゃぶり尽くさないと、絶対に気が済まない貪欲な狩人だ。
その先に、破滅があっても気にしない。むしろ、互いに傷つけあい、貪りあい、内臓まで洗いざらいぶちまけあうような関係を望んでいるようでもある。
そっと脳裏に『哲学書の君』を浮かべる。奴も厄介な相手に見初められたものだ。
果てさて空蝉はうまく逃げおおせるだろうか。

 「いいか、朽葉。
男ってのは、追えば逃げたくなるし、逃げれば捕まえたくなるもんだ。
ネコだってそうだろ?むやみやたらと追い掛け回しても、獲物は逃げていってしまう。
相手が安心しきるまで自由にさせて、居心地のいい空間を作れ。お前の隣で寝るようになってからがハントの時間だ。
じれったいだろうが、待て。」
「私、今だって待ってるわよ。」
「構うのもダメだ。メールでいちいち詮索するのも止せ。
 相手と直接会って、直接見て観察しろ。
 何が好きなのか、何が心地よいと思うのか、じっくり様子をうかがうんだ。」
 朽葉はふぅん、と詰まらなさそうに鼻を鳴らした。

 突然、朽葉のバッグから、携帯電話の着信音が鳴った。
手に取った朽葉が目を見開き、直ぐに耳元に寄せる。
「あ、はい。三郎?今どこ?え?空港?どこに行ってたの?
 …そうなの、研究の為に、
 …ええ、ええ、
 …いいえ、そんなんじゃないのよ。ただ、連絡が無かったから心配しただけ。
 …ううん、謝らなくていいの。無事に帰ってこれてよかったわ。」
どうやらお目当ての相手らしい。
冷凍庫から保冷剤を持ってきて手渡すと、朽葉は理解したのか、目に当てたまま、電話を続けた。
「ええ、食事?ううん、もちろん。大丈夫よ。
 そうね、7時くらいに駅前の時計の下でどう?インド旅行の話、いっぱい聞かせて。」
 
 ピ、と電話を切り、安堵のため息をついた瞳は、活力を取り戻していた。
「例の『哲学書の君』か。よかったじゃないか。」
「ええ、研究でインドに行ってたから、連絡がつかなかったんだって。
 あ、これ、借りてもいい?まだもう少し冷やさないといけないみたい。」
すっと立ち上がると、「行って来るわね!」と、一言残し、足取りも軽く部屋から出て行った。
まもなく、ステージから彼女の気配が消えた。
 
 嵐が去ったような一時が過ぎ、私はため息をついて応接ソファに座りなおした。
子猫よ子猫。虎のつもりの金の子猫。水面の月に手を伸ばし、じゃれて落ちても知らないぞ。
お前が追うものは、お前の幻影に過ぎないのに。相手という水面に理想という月を投影し、手に入れた気になっている哀れな女。波が立ったら消えてしまう儚さに、いつになったら気づくのやら。

 ふと、『哲学書の君』こと我が愚弟に、一言言ってやろうかとポケットの携帯に手を伸ばした。
だが、電話帳から彼の番号を探すうちに、馬鹿らしくなって止めた。
他人の恋路を邪魔して、じゃじゃ馬のハイヒールの餌食になるのは望みではない。
まぁいい、月をつかみ損なって溺れたら、助けてやればいい。
恋に溺れて、敗れて、泣いて、女は美しく磨かれていくものだ。それを見守るのも、『男友達』の勤めなのだろう。

 外を見ると、午後の光は力を弱め、もうすぐ日暮れになるだろう。
今頃朽葉は、自分のステージで化粧を直している頃だろうか。
三郎と朽葉。互いがうまくやれる距離が見つかり、仲良くなるのが一番なのだが、なぜだろう、少し胸の奥が痛むのは。
私は冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干し、サイフォンを片付ける為立ち上がった。









作者コメント

「朽葉とドグマってどんな話をするんだろう?」と、考えてみました。
朽葉のコイバナに巻き込まれて、モンモンとするドグマです。

話の元ネタは、友人との会話です。
私がドグマで、友人が朽葉。
話の中ほどではありませんが、友人も恋多き女性で、
ひどい時には毎週 電話で2時間、ノロケを聞いていました。

最初はこちらも反応を返してたし、真剣に相談に乗ったときもあったけど、
そのうち、「あ、コレはそういうエンターテイメントなんだ」と割り切って
TVのメロドラマ感覚で聞くようになりました。
最近ゴールインして、一安心といったところです。

余談ですが、
過去の朽葉の恋人は、 ヒキコモリ→浪人生エラー
来来軒→中年ブラァン を想定しています。
三郎の思わせぶりな態度からの肩透かしは怖いぞ!
頑張れ朽葉!

 

マインド パペット
Cheers!
きよさん
 
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